城データ

城名:岩上城

別名:無し

標高:51m

比高:10m

築城年:不明 戦国時代か

城主:不明

場所:広島県広島市安佐北区落合南3丁目

北緯:東経:34.470178/132.514068

岩上城はここ

 

攻城記

岩上城遠景

麓には岩上川が流れている。

削平地(改変後か)

見通しも良い。

頂上部。

岩上八幡宮方面。

麓を見下ろすと比高があることが分かる。

ここも曲輪跡か。

城ヶ丘は岩上城のことかもしれない

土井迫(土居があった可能性もある)

この地域が城ヶ丘ということが分かる。

岩上八幡宮。

 

位置関係

 

 

open-hinataより【岩上城】

 

 

余湖図【在りし日の岩上城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

1960年代の航空写真

現在。

現在遠景。

 

城の概要

本城跡は宅地造成に伴って一部の発掘調査が実地されている。

 

城跡の南西側及び東側は急崚な斜面となり、南西側には岩上川が流れている。

 

郭は最高所の1郭から、北へ向かって延びる尾根を削り出して2郭及び3郭を配し、1郭南東側に4郭を置き、その前面を掘り切っている。

 

1郭の背後は高度差約7mの堀切状の段をもつが、その尾根続きは緩傾斜となっている。

 

さらに、1郭前半部分には、左右に竪堀を置き、後半分には左に帯郭、右に小郭を置いている。

 

遺物は調査範囲が限られていたこともあって出土していない。

 

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用

 

VII岩上城跡

遺跡の概要(第65図)

 

 

岩上城跡は,E地点の存在する丘陵の先端部に位置するもので,第4郭と考えられていた郭の一部が造成計画地内に含まれるため,その計画地部分についてトレンチ調査を行い,さらに,城跡全体については,地権者の同意を得て測量調査を行った。

 

その結果,郭4,小郭1,帯郭1,縦堀2の存在が想定され,堀切1の存在が確認された。

 

遺構

1.第1郭

第1郭は,現地表面の標高約51mを測り,本城跡の最高所に位置しており,現状は畑として耕作されている。

 

規模は,現況で長軸23m,短軸12.5mを測る本城跡最大の郭である。

 

また,第1郭の西南約1.5m下には,本郭を取り囲むように長軸約20m,短軸2mの規模をもつ帯部が配されており,第1郭の北東約3.5m下には,長軸7.5m,短軸約1.5mの小郭が配されている。

 

帯郭の北,第2郭の南側及び第1郭の北側からは,それぞれ,縦堀1,縦堀2が認められた。

 

2.第2郭

第2郭は,第1郭の北西に配された郭で,第1郭との比高差は現況で約5mを測る。本郭は,現在墓地として使用されており,規模は長軸10m,短軸4.5mを測る。

 

3.第3郭

第3郭は,第2郭の北に配された郭で,第2郭との比高差は約3mを測る。現状での規模は,長軸25m,

 

短軸8mを測る第1郭に匹敵する規模をもつ郭である。

 

4.第4郭

第4郭は,第1郭の東に配された郭で,第1郭との比高差は6mを測る。

 

長軸20m,短軸5m程度と予想されていた本郭は,調査の結果,長軸18m,短軸3.5mほどの郭であることが確認され,この郭の北東には,幅約2m,深さ1.8mほどの堀切が見っかった。

 

小結
岩上城跡は,古文書等の文献では見いだすことができないが,このあたりでは,以前よりこの地を城山と呼称しており,代々山城であることが語り継がれていたようである。

本城跡の築造方法は,広島市内に見いだされる多くの山城と同様に,丘陵の先端部に山城を築き,その後方部を断ち切って築城している。

 

この山城の南西側は急峻な斜面で,直下には岩ノ上(落合)川が流れ,北東側も急峻な斜面になっており,自然の地形を最大限に利用して築城されている。

 

また,北東側は南西側のように小河川が流れていないかわりに,第4郭の北東に堀切を造り,より堅固な防御施設をほどこしている。

 

大手にあたると考えられる北西側には,第2,3郭を配し,守りを堅固にしている。

 

搦手にあたる南東部は,第1郭と尾根鞍部との比高差約6mを測り,トレンチ調査の結果,さらに1m程度の掘り込みが認められたが,これに続く背後の尾根は緩傾斜であり,手を加えた痕はみられないことからも,他の部位と比較して,搦手の防御能力が低いという観は否めない。

以上のように,本城跡は,第4郭の一部の調査であったため,城跡全体を把握するには至らなかった。そのうえ,山城に関連する遺物も検出しなかったため,岩上城跡の使用年代についても明らかにし得なかった。

 

ではあるが,トレンチ内より弥生土器がわずかに検出されており,本城跡は中世山城のほかに,弥生時代の遺構が存在する可能性をもっていることが明らかになった。 (橋本)

 

 

『末光遺跡群発掘調査報告』より引用

 

城の歴史

詳細不明。

 

所感

●文献が無いため詳細不明で城主も分からない。

 

●近隣には岩上八幡宮もあり、この地域が当時の住民の中心であったと思われる。

 

●「芸藩通志」に載っていないのが不思議であるが、記載もれか。

 

関連URL

【広島県】地蔵堂山城【広島市安佐北区落合3丁目】

 

 

参考URL

ひろしま昔探検ネット(岩上城)

末光遺跡群発掘調査報告

 

参考文献

『末光遺跡群発掘調査報告』

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

 

公開日2024/02/03

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