城データ
城名:幟城
別名:無し
標高:313m
比高:26m
築城年:不明
城主:不明(伴氏の関連か)
場所:広島県広島市安佐南区沼田町大字伴
北緯:東経:34.459872/132.365560
攻城記
幟城遠景
内部に侵入していく。
東に目のむけると山並みがみえる。
削平地があるが当時のものではなく、畑跡か。
この石がポツンとあるが、気になる。
横堀まで到達。
規模はまあまあ大きい。
本丸を望む。
これを登るのはしんどい。
本丸に到着。
削平地はそこそこ広い。
下を望む。
本丸裏の土塁。
北西の堀切。
堀切の反対側(土塁の西側)
麓に八面神社がある。
八面神社の奥に幟城が見える。
バス停にも幟城上とある。
open-hinataより【幟城】
1960年代の航空写真
余湖図【幟城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【幟城】
幟城は記載されていないがだいたいこの辺り。
城の概要
本城跡は、奥畑川北岸の大谷山(標高637m)から南へ延びる丘陵先端に位置する。
奥畑川は西から東へ狭小な谷を形成して流れ安川と合流する。
本城跡はその合流点から西へ4km程入った北岸に位置する。
最高所は背後に土塁をもつ郭があり、北西側は堀切で尾根筋を断ち切っている。
この堀切には土橋が見られた。南東下には横堀があり、そのまま北東側と南東側に下る竪堀につながる。
1郭の南~西にかけては通路状の幅の狭い郭が巡っている。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
記載されたものがないので、詳細は不明であるが、伴地域のため、武田家臣(一族)である伴氏に関連する城と推測される。
所感
●西には阿戸村や吉山村もあり、交通の要所で監視をする砦のようなものだったのかもしれない。
●確かに城付近から街道を確認すると、非常に分かりやすい好立地にあった。
●城の規模は小さいながらも、横堀、堀切、土塁などもある。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/01/07