城データ
城名:田淵ヶ城
別名:右京城
標高:384m
比高:160m(麓の道路から)
築城年:不明
城主:国司氏とも大内氏の陣城とも
場所:広島県安芸高田市吉田町吉田・国司
北緯:東経:34.652012/132.706696
攻城記
麓にある国司氏の墓所。
ここに国司氏がいたことは間違いない。
道路から見える山をそのまま直登する。
直登でそのまま登っていく。
山頂の平坦地。
平坦ではあるが曲輪のようには見えない。
ただしこのように石が作為的に置いてあるので人の手が加えられていた可能性はある。
城主家系図
城主が伝承の国司氏として。
城主(一族)石高
国司隼人(元蔵)
1116.631石
国司平左衛門(信勝)
268.096石
国司平兵衛(元貞)
100.047石
国司備後(元武)
100.052石
国司助左衛門(元連)
53.489石
所感
●右京城と呼ばれる為、国司氏に関りがある可能性を否定できない。
●城の造りは甘いが、戦で守るということが無かったのか。
●大内氏の陣城の時に提供していたのかもしれない。
城データ
城名:吉常山城
別名:吉恒
標高:350m
比高:70m(麓の道路から)
築城年:不明
城主:赤川氏もしくは大内氏の陣城
場所:広島県安芸高田市吉田町吉田・国司
北緯:東経:34.649594/132.701276
※C. フォーマット「度(DD)」の場合を参照。
攻城記
この上が城跡となっている。
登ると平坦な部分があるが城域なのか不明。
ここにも人為的な石の跡がある。
山の尾根っぽい。
吉田町方向。
位置関係
『芸藩通志』【吉常】
拡大図
城主家系図
城主(一族)石高
赤川主水(元房)
1198.279石
赤川十郎左衛門(元秀)
48.446石
赤川治左衛門(元通もしくは元之)
547.842石
赤川又六(元継)
84.388石
所感
●『芸藩通志』の中で赤川筑前屋敷とあるが元秀のことである。
●吉常山城が赤川氏の城であったかは不明であるが、城主であった可能性も否定できない。
●譜代の臣として毛利氏下向の時から従ったが毛利隆元の死に関与したとして元保が自刃させられる。
2つの城の概要
【城の特徴】
広範囲に断続的に遺構が残り、いずれの郭群も小規模 で整地が荒く、防御施設も少なく、陣地遺構とみられることから、国司氏や赤川氏の詰城とは考えにくい。
よっ て、伝承どおり郡山合戦時における大内軍の陣地跡とみ られる。
元就の記録では一万人が一ヶ月余り在陣したことにな るが、現状の遺構はそれに符合し、防御よりも大軍が臨 時的に駐屯することを重視して築かれた陣地であったと 考えられる。
それほど計画的に構築されたようにはみえ ないものの、数箇所の頂部を中心にしたまとまりがあり、 指揮官クラスの武将を中心にそれぞれ布陣した様子もう かがえる。
ただし、吉常山城については、比較的整地がされており、独立性が高いことから、十二月の陶本隊到着以前から陣地 として使用されていたとも考えられる。
可能性としては、 九月二十六日にこの付近で尼子軍と合戦となり迎撃した 大内軍の先発隊杉隆宣や小早川興景軍の陣地であったと も想定できるが、合戦後に再利用されたとも考えられる。
いずれにしても、この山上からは尼子本陣の青山城の側面がよく望め、二キロメートルに渡って大軍が布陣し た様子は青山城の尼子軍にとって大きな圧力となったと 思われる。
なお、字名ともなっている「右京城」とは、国司右京元相の城であったとの推測から地元で伝承されたと思わ れるが、国司氏又は赤川氏の山城がこの付近にあったことは否定できない。
『安芸の城館』より一部引用加筆。
城の歴史
【城史】
天文九年(一五四〇)十二月三日、尼子軍と交戦中の 毛利軍の後詰として、陶隆房率いる大内軍一万の軍勢が 着陣した。
史料上には「山田中山」や「白豆峠」とあり、 この一帯がその際の陣地跡と比定されている。
大内軍は 翌年一月十一日に郡山城西の天神山に移動したため、 1ヶ月余りの滞在と考えられる。なお、南西部(田淵ヶ城:吉常山城) は近世後期には、国司氏又は赤川氏の城とされていた。
また、大正期(一九一二〜一九二六)の『高田郡誌』に は、柿原山・住吉山・大元山(会下山の北側か?)が、 大内氏の陣跡として記載されている。
『安芸の城館』より一部引用加筆。
余湖図【田淵ヶ城・吉常山城】
余湖図【高塚山陣所】
余湖図【会下山陣所】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
関連URL
主家の城。
国司氏・赤川氏関係図
お互い近隣にいるが婚姻関係にはなっておらず、戦国末期に国司元蔵と赤川元秀娘が婚姻する。
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『安芸の城館』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2022/03/13