Pocket



 

城データ

城名:姉山城

別名:無し

標高:183m

比高:170m

築城年:不明

城主:朝山氏(浅山氏)

場所:島根県出雲市朝山町上朝山

北緯:東経:35.326054/132.768797

Google マップ (Google Maps) で緯度経度を指定して場所を見つける方法

※C. フォーマット「度(DD)」の場合を参照。

 

攻城記

 

姉山城と朝山氏
姉山城主・朝山氏は、「朝山系図」によると、検非違使として、朝山郷に下向した大伴政持を祖としている。

 

因みに政持が没したのは、嘉祥2年(849)2月7日である。

 

地頭職であった朝山氏は、建久3年(1192)征夷大将軍・源頼朝が、出雲八幡宮八社を新造したとき、朝山郷一社の祠官兼帯を命じられている。

 

当時の朝山八幡宮の社地がどこにあったかは不詳であるが、白枝町には元宮があったとして「朝山八幡宮旧蹟地」の石碑がある。

「千家文書」によれば、朝山氏は、宝治2年(1248)出雲大社遷宮儀式次第に、国司から奉進された3頭の御神馬のうち、第一の馬を目代と並んで取る地位にあったことが記されている。

文永8年の頃(1271)の朝山氏の所領は、神門郡から楯縫郡の西郷、東郷、御津荘におよび、167町5反を占め、守護識・佐々木塩冶氏に次ぐ大きな領地であった。

姉山城は、これより(この場所より)約800メートル、標高182メートルの地にある。

 

前方の山が姉山城。

民家の側面の道を進んでいく。

攻城開始(看板から奥へ進み民家の側面の道を進む)

途中の風景、出雲駅方面。

半分城も見える。

本丸跡。

姉山城址案内図

姉山城は、山の頂上を削平して造られた古城で あり、いつ造られたかは不祥である。

 

朝山氏は、主家尼子氏のため、毛利氏と争うも永禄九年(一五六六年)尼子富田本城落城により毛利氏派遣の代官大伴惟元によって支配を受けることとなり、これより朝山氏は朝山八幡宮の祠官専務となった。

 

姉山城の主郭部は、長径二十五メートル短径十 ニメートルの長円形状で、北東に郭四、南東に郭 二、西に郭一と堀切りの遺構がある。

 

曲輪は北東に4つ 南東に2つ 西に1つと堀切がある。

周辺部。

本丸から南方向の風景。

西曲輪(本丸から1段下がったところ)

周辺部。

姉山全景。

裏方面から。

 

朝山神社

朝山氏は毛利氏に攻められてから朝山八幡宮の祠官専務となった。

 

 

余湖図【姉山城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

姉山城は神戸川と稗原川の合流する場所の南側の、この両河川に挟まれた恰好の丘陵上にあったが、朝山神社のある丘陵からは独立していた。

 

当城の由来などは文献のうえからは明らかではないが、『雲陽誌』には、馬 木・勝定寺の項に「庭前に仮山あり、古樹長大なり、東に大河ながれて姉山の古城清々たり」と記述されている。

 

また、『雲陽古城跡』には「上朝山村姉山」とある。

 

城は、丘陵の北側半分に郭が造られているが、北側半分には突出部が二か所あって、その両方ともに郭が配されている。

 

主郭はこのうちで北側寄りにあり、それは直径二四mの円形状の平坦面をもっている。

 

主郭の北側にも帯状の郭のほか二、三段の細長い郭がある。

 

そして、東側に接して幅二・五mの道が取り 付けられているが、ある部分では土壇と道の取り付け口とが明瞭に区別できる。

 

主郭の西側には、丘陵を深く削って上下二段の二つの郭が造られている。

 

南側 は自然丘陵のまま残されているが、さらに下ると尾根の途中に二つの小郭が造 られている。

 

かつて、主郭の西北方の支丘陵上に姉山大権現が配られていたといわれるが、いまは北麓に移されている。

 

『日本城郭大系』14より引用。

 

城の歴史

朝山氏が検非違使として下向する。

 

嘉祥2年(849):大伴政持没す。

 

建久3年(1192):この地の地頭職であった朝山氏が源頼朝から出雲八幡宮八社を新造したとき、朝山郷一社の祠官兼帯を命じられる。

 

宝治2年(1248):出雲大社遷宮儀式次第に、国司から奉進された3頭の御神馬のうち、第一の馬を目代と並んで取る地位にあったことが記されている。

文永8年の頃(1271):朝山氏の所領は、神門郡から楯縫郡の西郷、東郷、御津荘におよび、167町5反を占め、守護識・佐々木塩冶氏に次ぐ大きな領地であった。

 

戦国時代:尼子氏の支配下に入る。

 

永禄9年(1566):尼子氏別亡に伴い、毛利氏の支配下になる、この時朝山氏は朝山八幡宮の祠官専属となる。

 

 

城主家系図

戦国時代のみ記載。

 

城主石高

1271年当時、朝山氏の所領は、神門郡から楯縫郡の西郷、東郷、御津荘におよび、167町5反を占めたと言われる。

 

1町で10石の収穫量と仮定して、167町で1670石の収穫量となる。

 

当然当時と今では1町当たりの米の収穫量も違うが、それにしても大きな勢力であったと思われる。

 

所感

●市指定史跡なんだから島根県教育委員会『島根県中近世城館跡分布調査報告書』に記載してほしかった。

 

●登城があまりにも長く800m本丸に行くのに結構平坦な道が続く。

 

●城の遺構はしっかりと残っておりしかもよく整備されていた。

 

●山陰道の姉山トンネルの上に城がある。

 

関連URL

【島根県】半分城【出雲市上塩冶町】

姉山城からみれる半分城。

【島根県】宇山城【雲南市木次町字寺領】

同じ朝山氏と思われる宇山氏の城。

 

参考URL

城郭放浪記(出雲姉山城)

西国の山城(姉山城)

武家家伝(朝山氏)

九条家諸大夫朝山家

朝山利綱(ウッキペディア)

朝山慶綱(ウッキペディア)

朝山日乗(ウッキペディア)

 

参考文献

『島根県中近世城館跡分布調査報告書』

『日本城郭大系』14

『島根県の地名』

『島根県地名大辞典』

『出雲の山城』

『萩藩諸家系譜』

『萩藩閥閲録』

『毛利八箇国御時代分限帳』

公開日2022/01/02

 

ホームに戻る

攻城一覧

Copyright © 山城攻城記 All Rights Reserved.