城データ
城名:船上山行宮跡
別名:船上山城
標高:675m
比高:420m
築城年:不明
城主:後醍醐天皇がこの場所で籠城している。
場所:鳥取県東伯郡琴浦町大字山川
北緯:東経:35.428335/133.591488
※C. フォーマット「度(DD)」の場合を参照。
攻城記
絶壁の屏風岩が出迎える。
滝も流れる船上山。
幕府軍もこれは攻められない。
船上山行宮
琴浦町教育委員会。
登り始めて一番山頂に、船上山行宮之碑がある。
木戸として機能していた遺構。
この場所が城としての遺構が分かる場所。
墓石群
年代は不明ではあるが形態から古いものだと推測される。
寺坊跡
多くの寺坊が往時はあったと思われる。
古墓
文保2年(1318)の年号が彫ってある。
他にも墓石が積まれている。
智積寺跡と船上神社
今では笹が生い茂っている。
奥の院。
後醍醐天皇行宮跡
静謐さが漂ってくる。
推定金石寺本堂跡
瓦の残骸もあった。
麓を車で通るとこのような五輪塔の墓所があった。
余湖図【船上山行宮跡】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
元弘3年(1333)関2月から5月に置かれたとされる後醍醐天皇の行宮所の特定はできていないが、船上山は平安時代以来の山岳仏教の聖地であり、現在見られる土塁と虎口は大山寺末寺の僧坊跡と推定される。
国指定史跡。
『鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)』より引用。
城の歴史
元弘3年(1333):名和長年がこの地で後醍醐天皇を迎い入れる、そして来攻してきた幕府軍を撃退する。
大永4年(1524):尼子経久が伯耆攻略(大永の五月崩れ)の際には一山焼失したと伝えられる。
天正8年(1580):羽衣石城攻略の為に、吉川元春が「船上」に陣を布く。
16世紀末:豊臣秀吉が寺領を没収するにあたり、僧侶は四散して没落していく。
所感
●城というよりは神社仏閣の雰囲気がある。
●古い苔むした五輪塔や宝篋印塔を見るとこの地にで戦があったと思われる(基本僧侶は卵塔墓なのでこれらは武士の墓になる)
●奥にいくと行宮や奥の院などもありが、静寂に包まれて、当時の雰囲気が感じられる。
関連URL
参考URL
参考文献
『鳥取県中世城館分布調査報告書第2集(伯耆編)』
『日本城郭大系』14
『鳥取県の地名』
『鳥取県地名大辞典』
公開日2021/12/18