城データ
城名:大塚城
別名:茶臼山砦・茶臼山陣城
標高:26m
比高:10m
築城年:天文15年(1546)に細川晴元の家臣・山中又三郎が築城したと伝えられる。
城主:細川氏、徳川家康、真田信繁
場所:大阪府大阪市天王寺区茶臼山町
北緯:東経:34.651846/135.511470
攻城記
遠景。
こんもりとした小山となっている。
公園になっている。
茶臼山古戦場跡
慶長二十年五月七日[一六一五年五月七日]、紅の旗」 吹貫であたかもつつじの花盛りのように群れなびかせた 真田の赤揃が陣を構える茶白山の真田幸村隊三千五百は、この日の正午過ぎ、徳川方最強の松平忠直率いる越 前勢一万五千と激突し、真田の赤揃えと松平家の家紋 のツマ黒が交互に入り乱れる大坂夏の陣最大の激戦が茶 白山周辺で繰り広げられた。(大坂夏の陣 天王寺口の 戦い)
数では劣る真田隊ではあったが、高い戦意と捨身の攻撃で越前勢を突き破り、徳川家康の本陣目掛けて一文字 に三度の攻撃を仕掛け、あとわずかで家康の首に手が届 くところまで攻めるも、数に優る越前勢が混乱から立ち直り反撃を開始、しばらく茶臼山に拠って抵抗を続けた真田隊も越前勢の猛攻によって奮戦むなしく壊滅し、真 田幸村も激戦を戦い抜いて疲弊し茶白山の北にある安居天神で休息しているところを越前兵により討ち取られる
―真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき申-「薩藩旧記」
山頂。
安居神社
諸国古城絵図
広島市立図書館より。
拡大図。
城の概要
大塚城は、古墳を利用した戦国時代の城の一つである。天文十五年、細川晴 元の家臣山中又三郎が茶臼山古墳の後円部に城を築いて拠ったが、細川氏綱に攻められ、まもなく落城した。
その後、慶長十九年(一六一四)、大坂冬の陣に際し、徳川家康がここに本陣を構え。
また、翌年夏の陣五月七日の決戦に際しては、豊臣方の真田 こに着陣した。そのため、大坂の陣の茶臼山砦として知られる。
現在も遺構の主要部が残存している。
『日本城郭大系』11より引用。
城の歴史
天文15年(1546):細川晴元の家臣である、山中又三郎が築城。
慶長19年(1614):大坂冬の陣の時に徳川家康の陣城となる。
慶長20年(1615):大阪夏の陣の時に真田信繁の陣城となる。
所感
●城というよりかは砦であり、兵力も多くは駐留できないと思われる。
●山頂は改変されていないと思われ当時の雰囲気が伝わってくる。
●南側には堀(池)があり、簡単には敵襲が受けない構造にもなっている。
関連URL
大阪冬の陣、夏の陣の本城。
真田信繁の城である真田丸。
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』12
『大阪府の地名』
『大阪府地名大辞典』
公開日2021/11/28