城データ

城名:高知城

別名:もとは大高坂城

標高:40m

比高:35m

築城年:慶長6年(1601)

城主:山内氏

場所:高知県高知市丸の内

北緯:東経:33.561616/133.531322

高知城はここ

 

 

攻城記

城の外からすでに圧倒される。

城門。

城域に入っていく。

戦国大名で内助の功を発揮した千代。

これでは攻めることが不可能。

苔むした感が素晴らしい。

石垣ビュースポット。

圧巻の石垣。

城の周囲を石垣で囲んでいるがどれくらいの労力がかかったのだろう。

 

御台所屋敷跡。

さらに進んでいく。

城の裏側に到着。

裏は裏で趣がある。

表に進む。

さっき見た門が現れる。

本丸の雄姿。

城門(開いていない)

ベストカングル。

絵になる高知城。

見下ろすととんでもなく高い事が分かる。

長宗我部期の石垣。

本丸に進む。

高知城天守閣。

天守閣から。

当時の城はとてつもなく凄いものだったと思われる。

最上部から。

 

余湖図【高知城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

高知城

山頂に立って眺めると、東には浦戸湾、五台山が、北には北山の山並が見わたされ、南には競川の清流を隔てて潮江城の面影を残す筆山(真如寺山)が指呼の間にあり、西方は鴻ノ森・朝倉・神田等の諸城跡を残す山々が見はるかされる。

 

土佐国の中心であり、景勝と穀倉の地を控え、浦戸湾によって外洋に通ずことのできる高知に城を築いたのは、山内一豊であるが、高知城はそれ以前は大高坂城といわれ、南北朝時代以来の長い歴史を持つ。

 

関ヶ原の合戦後、土 佐国二十万二千六百石を与えられた山内一豊は慶長六年(一六〇一)一月、浦戸城に入った。浦戸は要害の地であったが南に偏し、土地が狭く城下町の建設に は不適当であった。

 

一豊は将来の発展を考え、人心を一新するため浦戸の旧城 を捨てて新城を築き、城下町を建設しようとして大高坂山を選んだ。

 

榊原康政・井伊直政を通じて徳川家康の許可を得たのち、慶長六年(一六〇 一)六月より計画を練り、八月家老の百々越前(安行)を築城総奉行に任命し、 一切を委任したのである。

 

大高坂山の周辺には湿地が多く、水害に悩まされ、 城下町の経営は困難であったが、一豊は越前の技術を信頼し、非常の決意を持って築城に当たったのである。

 

五台山竹林寺の憎空鏡によって地鎮祭を行い、入念な治水計画を立て、繩張りを定め、九月初めに工事に着手した。

 

『御入国以後御城築之節覚書』によると、奉行越前以下家臣たちが築城の担当警戒の部署など、それぞれの職に任命されていたことがわかる。

 

一豊も浦戸城から隔日に出向いて工事現場を視察し、仕事をする人々を督励したという。

 

毎日総数一二〇〇~一三〇〇人を動員して昼夜兼行で工事を続け、越前は家にも 帰らず建築小星に詰めきって工事を監督したと伝えられている。

 

文字とおりの人海戦術による工事であった。

 

慶長八年になって本丸と二の丸の工事が完成したので、一豊は八月二十一日 浦戸城からこの新城に移った。

 

この日本丸で祝宴があり、吸物と肴一品という 簡素なものであったが、居並ぶ人々は座にあふれ、家中の侍たちは二の丸に建 てられた仮屋で記念すべき日を祝った。

 

この新城の地は一豊の命により、真如寺の僧在川(一説に雪蹊寺の僧月峰とい う)によって河中山と名づけられた。

 

潮江・江ノ口の両川の間に位置しているからである。

 

しかし洪水の害がはなはだしかったので、二代忠義は河中の文字を 嫌い、慶長十五年に五台山竹林寺の僧空鏡の選定により、文殊の浄土にちなみ 高智山(河中と同音、のち高知と改む)と改称し、ここに高知城の名が定まった。

 

慶長十六年には三の丸が完成したが、ここは土地が狭いために大高坂山と小高坂山との間にあった中高坂山を崩して、その土を盛上げたものと伝えられている。

 

享保十二年(一七二七)に火災のため、追手門のほか二、三を残して大半の建物が焼失した。

 

同十四年、再建にかかり、延享二年(一七四五)に二の丸、 寬延二年(一七四九)には本丸が、宝暦三年(一七五三)には三の丸が完成し、ようやくもとの姿にかえった。

『日本城郭大系』15より一部引用。

 

城の歴史

慶長6年(1601):築城開始。

 

慶長8年(1603):二の丸完成。

 

慶長16年(1611):三の丸完成。

 

城主石高

山内時代:202,600石

 

所感

●土佐一国の城として優雅な城で現存12天守の1つでもある。

 

●南北朝時代にはすでにこの地に大高坂城というものがあり、大高坂氏がいたらしい。

 

●長宗我部元親も岡豊城から一度居城を移したが、浦戸城に移動する、また一部長宗我部時代の石積も残っている。

 

関連URL

【高知県】岡豊城【南国市岡豊町八幡字岡豊山】

長宗我部氏の元の居城。

参考URL

高知城(公式)

高知城(ウッキペディア)

城郭放浪記(土佐高知城)

武家家伝(山内氏)

土佐山内氏(ウッキペディア)

 

 

参考文献

『高知県の地名』

『日本城郭大系』15

公開日2021/10/24

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