城データ
城名:山下城
標高:90m
比高:30m
築城年:不明
城主:浦上久松
場所:兵庫県加西市山下町
北緯:東経:34.901818/134.799459
攻城記
麓には看板があり公園として整備されている。
攻城開始。
井戸跡か。
大きな削平地がある。
比高はそこそこある。
本丸に到着。
推定復元図からかなり規模の大きい城だと思われる。
山下城は、地誌「播磨鑑」によると、浦上久松の居城であるとされ、天文元年(1532年)頃に築城、永禄9年(1566年)頃に、別所氏の兵站拠点基地として改修され、天正6年(1578年)まで機能していたものと考えられる。
この城郭は、戦国時代に珍しい「平山城」で、残存状態の極めてよい城跡である。
賀茂川を外堀として、 丘陵全体に削平地(郭)や堀切・池などを巧みに配置して、守備の厳重化と機能性の有効化を図っている。
南の最高地(比高30m)を本郭とし、 二の郭・二重の帯郭で「南郭群」を構成し、北東に各種の屋形を中心とした「東郭群」を設けて、政治的な機能を図っている。
その斜面には西本郭を中心とした大手を守備するための「西郭群」を配置している。
北播磨城郭研究会
加西市観光まちづくり協会
山下城跡周辺保存会
平成26年7月
本丸からの風景。
公園として憩いの場になっている。。
周辺部。
田福寺
後醍醐天皇の時代(西暦1320年頃)に当地の武士である浦上太郎左衛門が寺領や田畠を奪い、寺を焼き払い、この地に城郭を構えたとある。
ひなたGIS【山下城】
城の歴史
天文元年(1532(;このころに築城か。
永禄9年(1566):別所氏の兵站拠点として改修される。
天正6年(1578)このころまで機能していたが、秀吉の別所氏攻撃滅亡とともに、山下城もその役割を終えた。
所感
●中世には珍しい平山城で、しかも規模も大きい。
●山下城は赤松則祐の幕下にあった浦上七郎兵衛行景の居城との伝承もある。
●おそらく赤松氏の被官であった一族の庶流が、別所氏の臣下となったのではないかと思われる。
●一説には城主の浦上久松の母は、黒田官兵衛孝高の父・黒田職隆の娘とも言われる。
●三木合戦の時に浦上氏は別所氏に味方して三木城に籠城するとあるので、ここで浦上氏は滅亡したか、ただし詳細は不明。
関連URL
主君別所氏と共に戦ったとされる三木城。
参考URL
参考文献
『兵庫県の地名』
『日本城郭大系』12
公開日2021/09/30