城データ

城名:大谷城

標高:114m

比高:100m

築城年:鎌倉時代か

城主:益田氏、大谷氏

場所:島根県益田市久々茂町

北緯:東経:34.675832/131.877180

大谷城はここ

 

 

攻城記

大谷城全景

 

大谷城跡

(岸谷山道(大手道登山口)

 

大谷城は、益田兼高が建久八年(一一九六) 大谷の田才原、西谷の地高山を削造してたて た益田家大谷居館の北の守りとして、七尾城 に近い直轄城として築いた山城である。

 

後、この大谷の地の開拓や益田氏に功績の あった大谷氏に益田家が大谷時章を大谷地頭に命ずると共に大谷城預りとし、さらに大谷 兼光のとき大谷城主を命じ戦功に報いた山城 である。

 

登山道は、ここを登って行く岸谷山道(大 手道)と上流の八幡宮のあったソネ道がある。

 

城の辻は(一〇米ある)地元の人により桜や ツツジ、サツキなど植裁されており、眼下を 益田川が蛇行し、美しい田園、点々として石 見瓦の農家のいらかなど、美しい景観である。

 

若い人は五〜六分で頂上に登ることができる。

 

平成四年十一月吉日

ふる里おこし推進協議会

 

山道を登っていく。

大谷城の矢竹。

急こう配になってくる。

周辺部。

一番上が本丸。

本丸に到着。

整備されており綺麗。

本丸からの風景。

本丸から一段下がった曲輪。

周辺の曲輪。

降りたところから本丸を望む。

大谷城遠景。

 

概要

大谷城跡は北・ 南・西は急峻で南西から北西にかけて益田川が麓を流して自然の城堀となる。北方は深い岸谷溢が延びる。

 

城主 は大谷兼光という。下久々茂の背戸山の麓に五輪塔・宝 篋印塔各一基があり、大谷氏歴代の墓の一部と考えられる。

 

『島根県の地名』より引用。

 

 

位置関係

 

 

城の歴史

1196年:益田兼高によって築城。

1368年:大谷土居が焼失して益田氏は七尾城近くの三宅御土居に移る。
※その後大谷氏の城となったと思われる

 

 

城主家系図

 

所感

●思ったよりも急こう配の山城であった。

 

●益田氏は当初この大谷付近を拠点にしており、時代が下って七尾城に居城を移した。

 

●益田氏の後は家臣の大谷氏を城主に据えた。

 

●縄張図が無かったので本丸、二の丸付近しか行っていない。

 

 

関連URL

【島根県】七尾城・三宅土居【益田市七尾町・三宅町】

益田氏当主の居城、大谷城からこちらの七尾城に移った。

 

参考URL

城郭放浪記(石見大谷城)

西国の山城(大谷城)

益田大斬り

 

参考文献

『島根県の地名』

公開日2021/06/13

 

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