私の曽祖父はハワイに意味に行きそこで一生を終えました、しかし、ハワイでも子孫繁栄をしており一族は更に広がっています。
第1章
祖父(母方)は私が4歳頃に亡くなっていますので、ほとんど記憶に残っていません、すでにその頃にはベットで寝たきりだった記憶しかありませんでした。
人生最初の肉親の死であり、葬式というものが世の中にあるんだと認識した瞬間でした。
小学生の頃から先祖というものに興味が出てきましたが、その時は流石になんの知識もないので祖父の名前を知っている位で終わっています。
転機は18歳の時にやってきました、戸籍から先祖が遡れるということが判明して、早速戸籍謄本を入手。
そこには、衝撃の事実が記載されていました、なんと祖父は両親が54歳の時の子どもで九男と記載されていたのです。
その時はなんの疑問を持たずに、そんなもんかなと思っていましたが、よくよく考えると、そんな訳がないと思い、母に確認をすると
「祖父の父がハワイに移民に行くので小さい祖父は現地に行っても足手まといになるので置いていった」とのことでした。
そして、戸籍も祖父母の子どもとして入籍させていたのが事実でした。
母もブラジルに移民したのですが、その移民する話をした時に、祖父からは「自分もハワイに行きたかったが行けなかった、娘にも我慢する人生をさせるのは忍びないので、自由にすればいい」と言ったようです。
その後、祖父は近隣の家に養子として入籍して、これまた違う村の女性と結婚をして多くの子だくさんに恵まれます。
その1人が私の母になります。
戸籍と母親の確認で実家がどこにあるか確認出来ました。
18歳の頃に一回電話をしたことがあるのですが、その時はあんまり興味なさそうで、けんもほろろな対応で残念な気持ちになりました。
そこからまた時間が経過して2006年頃に、手紙を書き、今度はそのご自宅に伺う決意を固めて会いにいきましたが、その時も奥様が出てこられて、よく分からないと門前払いをされた次第です。
そこで諦めたら終わりだと思いもう1つの分家の方に伺ったところ、そこの当主の方が親切にしていてくださり、墓所を案内してくれました。
思いがけなく、墓所が分かり、そこに記載さえている墓石からの情報を読み取った記憶を今でも鮮明に覚えています。
そこにはハワイで無くなった曽祖父母の墓があるじゃないですか!!
曽祖父母の墓
ハワイで亡くなっているので何故墓があるのか疑問でしたが、謎は解けました。
そのころの移民は今でいう出稼ぎのような感じで数年から長くても10年位働き現地で金を稼ぎ、地元に帰るという方法もありました。
全員が帰国する訳ではなかもしれませんが、当時はその方法で大金を手にする方法もあったのだと思います。
周辺の地域では大金を手にして故郷へ錦を飾る家も多かったと聞きます。
曽祖父もそんな感じで数年働き、帰国するつもりだったのかもしれません。
分家の方に菩提寺をお聞きしてお寺にも訪問、先祖の家の法名を確認していただきました。
墓よりも古い情報はありませんでしたが、どうも昔は別のところのお寺が菩提寺だったとのことでした。
とにかく、曽祖父の家の情報が得られたので安心して、この家の先祖探しは一旦終了となりました。
第2章
そこから数年は特に疑問を思わずに年に1~2回こっそりと墓参りをしていたのですが、そのうちハワイの子孫って今もいるのでは?
という想いが強くなりました。
以前、従兄弟の家で先祖調査をした時に、伯父から写真をいただいたことがあり、この人物が曽祖父とのことでした。
この方がハワイに行った曽祖父だと思うと感慨深いものがあったのと同時に、なんとか子孫を発見できないものか?と考え始めました。
と言っても、ハワイにツテがある訳でもないし、英語が話せる訳でもない。
困難な状況であることは一目瞭然な状況。
しかし、諦めたらそこで試合終了です。
ネットで色々調べていると、ハワイの先祖調査をしている方がおられたので思い切って連絡したところ、現地のお寺の方に確認してみましょうと快諾を得らえました。
すぐに、曽祖父が葬儀をあげたお寺が判明、お寺から連絡があり、子孫が今でもいることも分かりました。
曽祖父の子ども(祖父の弟)に関してはすでに亡くなっていましたが、その娘さんが今でも健在でした、戸籍を確認したところ、戸籍にも名前がしっかりと記載。
子孫の方とメールでやりとりをした中で、ハワイでの曽祖父の家族の写真が送らせてきました。
1922年(大正11年)頃の写真。
どうも、以前私が曽祖父と思っていた人物は違うらしく、こちらの写真の人物が曽祖父母でした。
曽祖父。
曽祖母。
この写真が得られたことが大収穫でした。
先方は日本語が話せないので英文でのやりとり、しかも年齢も私の母と同い年で当時すでに70代でなかなか深い部分での家族の歴史は分からなかったですが彼女の話を要約すると
●祖父はハワイで商売をしていた
●50代で亡くなり、父が家族を養った
●第二次世界大戦で戸主で海外にいる人間の土地は接収されて、日本にいる親族に所有権移転された
●よって土地は祖父の弟の手に移った
とのことが分かりました。
その後何回かやりとりをしてお互い情報交換をしました。
第3章
それから更に時間が経過して2022年になった時に子どもがハワイに短期留学することになり、ハワイの親戚に子どもがハワイに行くので会う事は可能か?連絡すると OKとの返事。
住所などをお聞きして無事子どもがハワイの親戚に会った瞬間でした!
この時まだ、曽祖父の最後の娘さん(1926年生まれ)がご健在でネットをつなげて直接お話をしました。
この方は日本語が話せるので、昔話をお聞きできてリアルなハワイの生活がイメージできました。
日本に来た時には是非とも会いましょうということで終了、子どもが積極的に動いてくれたことも大きかったです。
そして、昨年の2024年にはハワイの別の親戚(1926年生まれの娘さんのこども)が来日したので、私の家族と一緒に食事をさせていただきました。
その時に「来年あたり、一族が日本に観光でくるかもしれない」という話をされていたので、これは会えるチャンスがあるかも!!と期待に胸が膨らんだ瞬間でした。
第4章
それから1年経過した6月頃に私と子どもにメールがきました、内容は7月に来日するので会えないか? とのこと。
そこで、会う約束をして、何名でくるか確認したところ16名での大人数でびっくり、後で確認したら数名は知人とのことでしたが、それでも大人数です。
そして当日ホテルで食事会を開催。
母の従姉妹である83歳の方が最長老で、子ども2名とその配偶者と孫らが来日。
子どもは男女2名ですが
男性の妻は中国人とエクアドル人のハーフのでした(妻の父である中国人の方も一緒に来日)
女性の方の夫は不明ですが白人でした
先方は日本語話せないですが、世の中便利になったもので、スマホで日本語を入力すると完全な英訳で翻訳してくれます、逆もまた然り、英語を和訳したものを私に見せてくれますので相手が何を言っているのか理解できました。
その中で男性(私と三従兄弟)も数年前から先祖を探すことに関心を持っており、アメリカの家系図アプリを使用してました。
彼は陽気なアメリカ人でサービス精神が旺盛な方で、こちらも緊張せずにざっくばらんに話が出来たので良かったです。
子ども達はすでにハワイにはおらず、アメリカ本土のボストンやカリフォルニアなどに住んでいるようです。
最後に記念写真を撮って解散。
最終章
今回の事例では色々示唆に富むことが含まれています
①先祖探しはライフワークである。
18歳の時に最初に調査して50歳でこのような事があります、ずっと先祖探しをする訳ではありませんがどこかのタイミングで歯車が回る時があります。
②断られても終わりではない。
私も本家の方には断られましたが、分家の方へのアプローチで無事墓所が判明、その後菩提寺を紹介していただき過去帳も確認できました、正直断られたら気分も落ち込むこともありますが、そこで諦めたら先祖の扉は永遠に開きません。
③調査方法は日々進化するので過去に囚われない
1990年代と2020年代ではテクノロジーの進化で可能性も広がりました。
・インターネットの普及で海外でも素早いやり取り可能。
・動画での対応もできるようになった(今回は子どものLINE動画で対応)
・翻訳機能も充実(話すときにはスマホのDeep Lを使用して違和感なくコミュニケーションが取れた)
・デジコレで曽祖父やその息子の記載があり、資料を渡すと喜ばれた。
最後に
曽祖父がハワイに行ったのは明治38年頃(1905)です。
当初は10年以内に稼ぐだけ稼ぎ故郷へ錦を飾るつもりだったのかもしれません。
しかし、現地で子どもも増えて生活基盤ができたことで帰国をせずにハワイの土になったのだと思います。
(そうじゃなければ日本に曽祖父母の墓があることが不思議なので)
その後のハワイでは第二次世界大戦での真珠湾攻撃や敵国の住民で強制収容もされたと聞きます。
曽祖父自身が50代という若さで早世しており最後の子どもは2歳の時に父親を亡くしております、長兄が一家を支えたことは想像に難くないですし、次兄はイタリアで戦死しています。
そのような1世、2世の苦労のなかで3世がハワイでの経済基盤を確立して現地に溶け込み、4世ではアメリカ本土で活躍、5世が21世紀にどこまで広がるか楽しみです、そして現在6世がすでにこの世に生を受けています。
日本の片田舎から子孫は海外に広がっていくことでいつの時代でもフロンティア精神を持って出ていく人間も一定数おり、自分の先祖もそのような精神の中で広がっていったのだと考えると逞しいご先祖様に尊敬の念を感じます。
自分も先祖や子孫に恥じない人生を送ろうと感じた経験でした。
公開日2025/08/02