資料探しの重要性
先祖探しとは資料をどれだけ探すかです。
当然基礎資料として戸籍、位牌、過去帳、お墓などは必須となります。
問題は遠戚のご自宅に確認したときにそこの当主が「そんなもの無い」と言われることです。
ここで諦めては終わりです。
キーワード
そんなもの無いよと言われてから勝負。
よく遠戚のお宅に伺いなにか先祖に関するものありませんか?と聞くと、殆どの家でそんなものは無いと言われます。
具体的に聞きましょう
①位牌
②過去帳
③仏壇の中にある香典帳
④写真、肖像画
⑤お墓(家の裏とかに無いか)
⑥古い文書(蔵とかに無いか)
⑦手紙
そう聞くとあると言われます!! pic.twitter.com/gxu3kpCTUj— 先祖探し 悠久の時を越えて (@gosenzo2) February 16, 2021
①位牌
まず先祖探しの基本である位牌になってきます。
一般的な位牌の印象はどのような感じでしょうか?
このようなきらびやかな位牌じゃないですか?
または古い位牌でもこんなに立派なものではないでしょうか?
最初の位牌はつい最近のものです(戦後)
2つめの位牌も明治頃の位牌になります。
このような位牌が江戸時代以前に存在しているというのは庶民では皆無だと思われます。
基本的には「繰り出し位牌」といって、木の板が何枚か位牌の中に入れられているものになります。
これは最近でも普通にあります。
このような位牌の外観
繰り出し位牌の中身。
大正時代から戦後までの位牌。
これは新しいものですが、古い位牌も当然あります。
明和、安永、文化、文政などがオンパレードです。
このような欠片も絶対にデータ保存するべきです。
自宅に帰ってからこの位牌が重要な意味を持つことだってあります。
ここでの問題は位牌というものが先祖探しの重要なツールであると当主が認識していないことです。
理由1:仏壇に当たり前にあるものでそこまで重要という認識が既にない。
理由2:位牌というものに何が記載されているか認識していない。
とにかく、遠戚の自宅で一番重要な情報になりますので、仏壇にある位牌は全て画像に収めましょう。
その時には全体を一覧で移す(表裏で)、1枚1枚を裏表で撮す。などとにかく何枚にも画像に収めることです。
気が急くと、写真がぶれることだって多くあります。
駄目な例。
焦って写真を撮りぶれてしまった例。
その時はきちんと撮ったと思っても、自宅に帰って後悔することになります。
私も何十回も経験しており、写真は同じものでも何枚もいろんな角度で撮るようになりました。
②過去帳
位牌に続く仏壇にありそうなもの、それは過去帳になります。
基本的には過去帳には先祖の亡くなった年、命日から続柄まで記載されている場合もあります。
位牌はどの家にもありますが、過去帳の場合はある可能性が低くなります。
また、浄土真宗では法名軸という過去帳に代わるものがあります。
このようなものが過去帳とよばれるもの。
本名や続柄なども記載されている。
こちらが法名軸と呼ばれるもの。
先祖が一覧表となって掲げられている。
これらも、一般的には「よく分からない先祖の事が記載されたもの」くらいの認識しかありません。
このような場合には当主に先祖の戒名(法名)や没年月日などが記載された過去帳というものが仏壇にあると思いますがどうですか?
と「あることを前提」に確認してもいいと思います。
無ければそれまでですが、実際には「このことかな?」と仏壇の奥から引っ張りだしてくる場合も多いです。
③仏壇の中にある香典帳
仏壇と言えば先祖の誰かが弔われているところです。
つまり、葬儀を行った時の香典帳も保管されている可能性があります。
これがあれば亡くなった時の重要な関係図を作成できる手がかりになります。
曽祖父が亡くなった時に来られて香典帳に記載された人物がいるとします。
その方の名字が分かります。
そして戸籍で確認するとその名字の方がいる場合があります。
そうするとかなりの確率で戸籍に記載された名字の一族だと認識できます。
ここが一番重要なポイントなります。
どういうことかというと、その人物とは戸籍で繋がりがある親戚ということになります。
概ね香典帳に記載されている故人の親戚になります。
だいだい、母方の従兄弟とか養子の場合は実家の甥とかに該当します。
ここら辺を丁寧に確認していけば、当時血縁関係図がおぼろげながらも確認できることが可能です。
そして、それは次の直系尊属を遡る旅へのチケットにもなります。
ということで、香典帳も先祖探しには欠かせないツールになりますが、遠戚の当主からすれば、今すぐ捨ててもいい位の認識だと思われます。
当主には昔の先祖が亡くなった時の香典帳がだいたい一般的には仏壇の奥にしまってある事が多いですが、そのよう資料が仏壇にありませんか?と確認することが重要になってきます。
④写真、肖像画
写真や肖像画は先祖に親近感を持つ圧倒的なツールとなります。
確かに先祖の名前を遡ることには興奮を覚えます。
しかし、自分の祖父母や曽祖父母の写真(肖像画)が残っていればかなり親近感を持つことになります。
自分の中にその先祖のDNAがあると思うと想うところがあるのではないでしょうか?
仏間に飾られている写真。
葬儀写真。
とにかく、写真があれば必ず画像に収めるようにします。
一番いいのはその写真を貸して貰って自宅などで全てスキャンするか、写真屋でデータ化して貰うかになります。
しかし、一般的には貸していただくことは難しいと想いますので、その場でどんどんスマホ等を用いて先祖の写真を撮りまくることをお勧めします。
戦前や戦後まもなくの写真はそこまで多くないので余り時間もかからないと想われます。
その時写真に記載されている人物の関係図が不明の場合は遠戚の当主に確認することは必須になります。
このチャンスを逃がすと永遠に写真に写っている人物の特定が困難になります。
⑤お墓
お墓といっても、現在の共同墓地にあるお墓ではありません。
当然このお墓も先祖になりますので情報はありますが、戸籍や自宅に保管されている位牌から同様の情報を得ることは可能です。
ここでは江戸時代の古い旧墓のお墓になります。
江戸時代のお墓も旧家でしたら多く存在しています。
そしてそこには、自宅の位牌には無い情報である戒名や没年情報が膨大に眠っています。
得にお墓の正面はもとより、その側面に俗名や享年が彫ってありますので十分過ぎるほど確認をしましょう。
このお墓情報が先祖探し情報の肝と言っても過言ではありません。
お墓は石材の為、かなりの年月でも耐えることが可能です。1700年代の墓石でも普通にそこからの情報を読み取れることが可能な場合が多いです。
位牌の場合は途中散逸する場合や、家が絶えた時に無くなることもありますが、お墓の場合は墓石を無くさない限りその場所に永遠にあります。
読み取れない場合は拓本という手段もあります、ただし遠戚の方の同意が必要になります。
遠戚の当主からすれば、「こんな古いお墓わしも滅多に行かないに意味がないだろ」という感覚ですが。
私達からすれば「このお墓こそ先祖探しの為に必要なものなんです!!」ということになります。
必ず古いお墓が無いか確認しましょう。
⑥古い文書
古文書が無いかと聞くと一般的には「そんなものは無い」で終わります。
聞く方法が肝要になります。
●古いお爺さんが持っていた本などないか?
●仏壇の中とかにひい爺さんが相続した時の戸籍とかないか(昭和30年代とか)
●神棚に祀られているあれはなんですか?
など。
一般的に古文書といたら戦国時代や江戸時代のものをイメージしますが、もう少しくだって明治大正から戦前位のものをイメージして貰うほうがいいと思います。
そのようなやり取りの中で、当主が仏壇から探したり、蔵から探したりして結果的に古い文書や書物などが出てくる場合があります。
仏壇の中から出た古文書。
江戸時代の算術書。
因みに、本当に古文書が出た場合はとにかくその古文書を撮りまくることです。
撮るところは最初から最後までになります。
しかも、同じところを何枚も撮ることをお勧めします(ぶれている場合があるので)
量も多いし解読できそうも無い、よく分からないのでまあいいか
は厳禁です!!
自分が解読できなくても解読できる方に依頼すればいい、内容が不明だから諦めるのではなく、その内容を判読するにはどうすればいいかを自宅に帰ってゆっくり考えればいいです。
自分で古文書を勉強する方法だってあります。
遠戚の家から戻ってから、やっぱりあの古文書が気になるな~~と思っても後の祭りになります。
※もう一回行くのはかなりハードルが高いので。
⑦手紙
旧家では捨てることができない手紙があります。
それは、戦争に絡んだ手紙です。
戦地から息子が送ってきた手紙、逆に父親が送ってきた手紙。
残念ながら遠い戦地で亡くなった方も多いかもしれません、そのような手紙の場合は遺族が大切に保管している場合があります。
また、戦友から遺族に書いた手紙が残っている場合もあります。
私の場合は、大叔父が戦死しましたが、その戦友から散文を送られていたことが分かりました。
以下が散文です。
散文
戦友
呉工廠造船部 高野利雄
帰還以来の願いである日野君の家を訪れたのは九月七日の日曜日であった。
日野君―今は故人であるがーは中支の奥地で共に奮戦した戦友で、武運拙なく迫撃砲弾に斃れた惜しむべき勇士である。私は日野君と共に居て命ながらえ、今は銃後の奉公にこの一身を捧げているのである。
駅から一里余の原村、日野の家の前に感慨無量の心を抱いて私は立った、出て来られた御母堂は六十位で、腰の少し曲った優しいお方だった。
交はす言葉も涙に濡れて、暫くは声も出なかった。
私が晴れの召集解除になり、わが家の門を入る時、母が迎えて呉れたあの姿と、少しも変わりなかった。
いやそれよりなお深刻なものがあった。
「死んだあの子が帰って来て呉れた様な気が致します。まことに有難う御座いました本当に・・・」と幾度となく涙を流して喜ばれた。
生きて再び帰らぬ者とあきらめて陛下に捧げた一子ではあったけれども、今その戦友の私が御母堂の眼の前に無事で現れ、可愛い子は無言の凱旋の悲しさは、強くむすんだ口元にさえ見えるようであった。
御母堂に導かれて、生死を互に誓った友の霊前に額づいた。戦友の姿は、在りし日の面影をそのままに、額にして祭られてあった、物言いたげに君の瞳は私を直視して居た。
『僕だけが君の家をこんな風に訪れようとは僕は少しも思ってはいなかったがなア。共に死のうと誓った仲だもの・・・』
私ははっきり日野君の写真に向かって言った、御母堂は、日野君の最期の様をそれからそれと訊ねられた。御母堂の心には、愛児の最期が、武士として恥じないものであるかどうかと言う心配で一杯だったようである。
『誠に壮烈鬼人を泣かせるような有様でしたよ』私は力強く言い切った。御母堂は日野君の死を護った私の言葉に安心されたようであった。
君の墓所は、この家の東側の小高い丘の大きな松の木の下に、先祖代々の墓石と並んで新しい四角な木標が建って居た。
故陸軍砲兵伍長日野守之墓と墨の跡も黒々と、初秋の陽をうけて居た。花を捧げ香をたき、掌を合わす時、御母堂のすすりなきがかすかに聞こえてきた。
黙祷五分間―私は静かに眼を開いた。御母堂はそっと立ち上がって、碑の頭をなでながらーさも生ける人に云い聞かす様に、『守よ、お友達の高野様がわざわざ参ってくださったよ。お前は本当に幸福者だのう。うれしいだろうなア』
と涙を流される姿に私は墓標も老いもこの御母堂の姿も、何も霞んで見えなかった。
このご母堂の崇高な姿こそ我々皇国の母の姿であるのだと思った。
『こうして毎朝、毎晩、ここをなでるのが、あの子の頭をなでてやる様な気がして楽しみなんです。あれが戦死してからというものは、何もかも手につかず、唯茫として来た様な気が致します。だがあれもよく死んで呉れました。・・・あれは本当に優しい子でしたよ』
と在りし日の愛しい児への思いは尽きない様子。
帰還命令が降り、いよいよ中支の部隊を離れる時、部隊長が我等に與へられた訓弁をつくづく思い出す。
『英霊の加護を片時も忘れるな。故郷に帰ったら謙譲の徳を守り世の人の儀表となるように努めよ。』
の言葉である。
私は今の職場に立ち、日野の分までも銃後で御奉公するつもりである。
『君の分まで働くぞ!!』
この言葉をもって私は日野君の墓場を去った。振返れば暮色は既に迫って、日野君の生家は夕暗の底に沈もうとしていた。
家の前には私を送り出したまま、御母堂が暮色の中に立って私の姿を見送って居られた。
私は静に頭を下げたがご母堂には分からなかったらしい。私は急に熱いものをまぶたに感じたのであった。
このようなものが自分の先祖の記録だったら、恐らく胸に迫るものがあるのではないでしょうか?
私もこの大叔父のお墓は知っていますし、墓所の情景なども分かります。
ここで曽祖母が我が子のお墓参りを欠かさず行い、墓をなでており、声をかけていたと思うと想うところがありました。
先祖探しは故人との対話です、当時どのような想いがあったのか、などを様々な資料から探っていくことが重要となってきます。
まとめ
①位牌→古い位牌は当主も意味ないものと思っている。
②過去帳→仏壇の中にあることが多い。
③仏壇の中にある香典帳→あれば当時の遠戚関係が分かる。
④写真、肖像画→画像情報こそ重要なものは無い。
⑤お墓(家の裏とかに無いか)→新墓ではなく家の裏とかにある旧墓(更に古いものも別の場所にある可能性高い)
⑥古い文書(蔵とかに無いか)→明治以降の文書でも立派な情報になる。
⑦手紙→戦地からの手紙は残されている場合もある。
結論
当主がその資料を重要だと思っていないので、こちらから具体的に確認する。
公開日2021/02/20