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苗字に関して、なぜその苗字を継いでいるのか?

そもそも、その苗字の由来はなんなのか?を疑問に思ったことはありませんか?

 

苗字の約80%は地名から取ったものです(一部違うものもあります)

では、その苗字を名乗った地名がどこにあるを探してみるのも先祖探しの醍醐味の1つです。

苗字を名乗った地名を本貫地といいます。

 

ウィキペディアでは以下の様な説明があります。

本貫(ほんがん、ほんかん)は古代東アジアにおいて戸籍の編成(貫籍)が行われた土地をいう。転じて、氏族集団の発祥の地を指すようになった。

日本には律令制下の戸籍制度とともに概念が導入された。中世以降、武家の名字(苗字)の由来となった土地(名字の地, 一所懸命の土地)を「本貫」、「本貫地」(ほんがんち)と呼ぶようになった。

 

ただし、苗字の人口の多い場合は、1つの系統ではなく、無数の系統があるので、なかなか断定することは難しいかもしれません。

※田中、山本、高橋、渡辺、中村、小林など

市町村史には地元の同姓の情報が詳細に記載、姓氏家系大辞典などには国別で苗字の詳しい説明がありますので調査の価値はあると思います。

 

参考図書:姓氏家系大辞典

 

(例)

毛利元就で有名な毛利家は広島県から中国地方の雄になりましたが、本貫地は相模国愛甲郡毛利庄(神奈川県厚木市南毛利地区)です。

織田信長に滅ぼされた朝倉氏は福井県ですが本貫地は但馬国養父郡朝倉(兵庫県養父市八鹿町朝倉)です。

織田氏も本貫地は越前国丹生郡織田庄(福井県丹生郡越前町織田)です。

戦国大名、近世大名の本貫地

というように、今住んでいるところとは全く違うところが一族の苗字の発祥の地のケースも多々あります。

 

戦国大名は大きな話しですが、鎌倉時代の御家人などは在地名を取り、親子、兄弟でも苗字が変わるのが普通でした。

室町時代も同様に庶流が在地の名前をとって苗字にしています。

 

江戸時代以降は農家の場合はその地域に住むことが多いですが、鎌倉時代や室町時代初期まで遡れば、全く違うところから来たのでは?というケースも散見できます。

武士の場合は戦の手柄で新しく所領をもらい、一族の分家がその土地に行き繁栄、逆に本貫地の本家の方は没落していったということもあります。

※西国の地頭になった武家は承久の乱で新しく所領を得て新補地頭として東国から移動してきたものも多いです。

 

本貫地の調査はその苗字を名乗ったのが鎌倉から室町時代まで遡りますので、自家とは即つながるということではありませんが、どこから来たのだろう?という疑問を抱きつつも、探していけば興味深いことも発見できるかもしれません、ここまでくればライフワークになります。

 

自分が珍しい苗字の場合は土地の小字をしっかり確認することで、その糸口が見いだせる可能性もあります。

自分の名字が珍しい場合のしらべ方

 

小字が苗字の由来になる場合もありますので、その場合には旧土地台帳を詳細に確認することも必須です。

私の例では旧土地台帳の小字が苗字にあったケースがありました。

本家と分家で苗字が違う場合

小字を確認するには角川の地名辞典が一番最適だと思います。

巻末に小字が記載されており、その部分を確認することで本貫地ではないか?を確認することが可能です。

参考図書:角川地名大辞典

このような小字が記載されています。

そこまで小さな地名で無くても、その場所がどのようなところかは国土地理院のサイトから確認できます。

 

地図で確認するとわかりやすいです。

 




更に、グーグルマップで航空写真を確認すると、その地域がリアルに確認できます。

 

本貫地から現在地への変遷

本貫地が判明したとして何故現在の地に自分がいるのか?

概ね5つの大移動がありました。

1つ目は鎌倉幕府の創設と承久の乱の処理により、関東の御家人達が東北、西国、九州などに所領を得たことです、守護の場合は家臣を守護代として派遣していましたが、地頭は当時から下向しており全国に苗字が派生しました。

 

2つ目は南北朝時代に様々な場所から移動しています、元寇が原因で鎌倉時代には守護代に任せていた大名も自ら下向した例もあります。

更に、庶流も多く派生して一族同士結束、または内部分裂しながら移動が発生しました。

 

3つ目は応仁の乱以降戦国時代になります、この時代は親兄弟でも戦になれば敵味方に分かれる時代で、勢力拡大した家は庶流を配置する場合や、逆に惣家に叛逆して敗れていく家もありました。

 

4つ目は豊臣時代から江戸時代になります、豊臣時代に転封した家もあり本貫地から全く違う場所になった大名家臣もいます。

江戸時代も関ヶ原の戦いにて領地の拡大や縮小に伴い大名や家臣が大きく動いた時代です。

江戸時代も前半は改易や転封などで移動していった家も多いです。

 

5つ目は明治時代以降です、明治時代も村の支配者階級では長男に勉強させようと都会の学校に進学しそのまま現地に住んだ場合

逆に村の次男や三男で受け継ぐべき土地が無い場合は都会にでて労働者になることもありました。

戦後はその傾向が顕著で我々の父や祖父が田舎から出て来たという例は多いと思います。

 

我が家は農民なのでそんなの関係ないよ!!という家も多いと思います、確かに、江戸時代以降はその可能性も高いですが、600年前?800年前?まで遡れば上記のような理由で移動してきた可能性もあります。

 

また、武家の家でも家系図や家譜を確認したところ、江戸時代以前は不詳や、1600年代後半から1700年代前半に初代が仕官しており、それ以前は不詳の場合も多くあります。

 

地名に本貫地と同じものがあった場合や戦国時代の地域の小領主や地侍と同じ苗字の場合など、仮説を立ててどのような変遷でこの地に来たのかを思い巡らすのも至福の時だと思います。

 

古くから伝わっている家伝書などで証拠があることは稀ですので、ここは推測の部分になりますが、先祖がどのように移ってきたのか?また、その時どのようなことがあったのか?などを考えることで新しい発見も生まれるのではないでしょうか?

 

【まとめ】

●苗字の大半は地名から取ったものが多い。

●その土地名を名乗ったのは鎌倉から室町時代。

●自分の苗字の本貫地を探すことも先祖探しのライフワーク。

●ただし、仮に判明しても、即自家と断定はしないほうがいい。

●先祖の移動した場所を仮説を立てて推測するのも楽しみの1つ。