屋号

家屋敷の各戸につける「姓」以外の通称で、先祖名、職業名、家の本家、分家、その家の立地条件に沿う形でつけられたものがあります。

先祖調査の場合、屋号もしっかり調べておきましょう。屋号が決め手となる場合もあります。

 

門名(カドナ)と言われる場合もあるようです。

 

実際に私が調査した時に屋号で先祖の家が判明しました。

1先祖名  せんすけ(仙助)、いちべい(市兵衛)

2職業名 かじや(鍛冶屋)、さかんや(左官屋)、げたや(下駄屋)

3立地条件 ひだや(日田屋)、さきまえ(先間屋)

4意味不明 せのぶ、こぶけ、むかわ

5商家 大和屋、伊勢屋、越後屋

 

江戸時代は苗字を公称できなかったので(殆どの人はもっていましたが)屋号が発達しました。屋号を苗字がわりにしていました。現在でも、田舎にいけば苗字ではなく、屋号で会話が行われている土地も多いです。

 

「鍛冶屋の政次郎さんの風邪の具合はどうかいな?」とか「せのぶのキクさんのところは孫が生まれたらしいよ」

 

余談:知人の郷里では屋号とは違うが③と似たような事がありました。

山の高い部分に住んでいる人は「かみぐみ(上組)」「そらぐみ(空組)」と呼ばれていた。今思うに、所謂「町内会」や「相互扶助組織」の単位名称だと思われる。いつ頃から使われていたのかは全く不明。

 

他に「中組」「下組」があるのかと聞いてみたが、それはないとのこと。また「空組」は「上組」でも特に上のほうに住んでいる住人を指している。元々は「上組」一つだったが、人口増加により「ソラ」と「カミ」に分けたのではないか。

 

買い物に行った時など「あんた誰ね?」「山本です」「どこの山本ね?」「ソラの山本です」「あー照彦さんとこかいな。おじいさんは元気でやりよるか?もう90は越えたろう。」など

 

家紋

家系を象徴するものに、家紋があります。家紋は鎌倉時代以降、武士の間で旗や幕に家紋をつける事が定着しました。苗字の固定と同時に、家紋も一族のシンボルマークとして定着してきました。

 

ですから、家紋を見ると自分がどの流れで来ているのかがわかります。(徳川なら葵の紋、武田なら菱紋、土岐氏なら桔梗紋)

 

ですが家紋から家の出自を探るのは少しばかり困難です。それは、家紋が苗字のように固定したものではなく、勝手に変更されたことが多いからです。しかし、家紋で親戚が判明する場合もあり、必ず調査しましょう。

 

例:苗字が違うが、先祖の家はあの家の三男が分家したと伝承では言われている、しかし、江戸時代の中頃なのでよく分からない。という家があり、家紋を見てみると実際に同じ家紋だったとか。

 

■家紋から出自が分かりにくくなった4つの理由

1、一つの地方に長い間勢力をもった豪族が住んだ所では、家紋が憧れの的であり賜紋(その豪族の家紋を与えられた)された家臣もあります。または逆に土地の豪族が滅亡した後に、その土地の者が引き続き勝手に使用した場合もあります。

 

2、昔は同族同士(父と子、兄弟、おじと甥など)で戦をする事がありました。

※戦に負けると敗者は、家紋を少し変えたりしました。また、長男は父から受け継いだ家紋をそのまま使用しますが、次男、三男が分家をした場合、家紋も少し変更する(白抜を黒抜にするとか、丸で囲むとか)場合も多かったようです。

 

3、江戸時代中期以降は「伝統を守る」というより趣味で家紋をつけていたようです。

 

当時流行していた家紋を取り入れたり、優雅な女紋(母方の紋)を用いたりして男女の紋を区別しなかったことが、家紋から出自を探る難しさに拍車をかけました。明治以降も新紋ブームが起こっています。

 

4、一般庶民が墓を作るようになった明治以降「うちの家紋はよく分からない」ということから墓石屋に頼んで適当に家紋を選んだ家も多いです。

実際、私の家の家紋は「剣片喰(けんかたばみ)」ですが、祖父が昭和50年代に墓を作った時に墓石屋で選んだそうです

※4代前の先祖の実家の家紋は「五三桐」ですし、更に前の先祖の家(私の県における一族発祥の地)では三階菱です。

 

参考)家紋には「男紋」と「女紋」の2種類があります。男性は父の家紋(男紋)を代々受け継ぎ女性は母の家紋(女紋)を代々受け継ぎます。知っておけば、何かの役に立つかもしれません。

 

一族発祥の地に先祖代々住んでいる(若しくは父や祖父までは住んでいた)方で昔からの名士の家ならば正しい家紋を伝承されている可能性は高いです。

 

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