城データ
城名:岡枝茶臼山城
別名:無し
標高:60m
比高:41m
築城年:不明
城主:田肥前守の家臣茶臼権頭との伝承あり
場所:山口県下関市菊川町大字下岡枝
北緯:東経:34.138463/131.039504
攻城記
全景
ここから攻城していく。
川が天然の堀として機能していたか
数分歩くと城の入り口に到着
そのまま進むと墓地に突き当たる
墓地側を上がったところも平坦な部分がある。
堀切部分
城郭部分を見上げる
天然の窪みを堀切化したか
こちらの道から登城開始
鳥居までくると城に入ってくる
削平地
曲輪
本丸へ登る
本丸部分
祠が2つある
中央は少し高まりがある
本丸を囲む曲輪を確認
しっかり削平されている
下を確認すると削平地がある
位置関係
全国Q地図より【岡枝茶臼山城】
余湖図【岡枝茶臼山城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
茶臼山の古城跡 下岡枝茶屋川部落の北方の小丘上にある。
丘のふもとを木屋川が流れる景勝の地である。
丘頂が平坦になっていて、そこに方約一〇間の壇がある。南面は大手らしい。
享保1716~35年間にできた「下岡枝村絵図」には、茶臼山のところが「城山」となっている。
昔、土豪 豊田肥前守の家臣茶臼権頭がった城跡といい伝えられて来た。それはとにかく、鎌倉中期から室町期の中ご ろ まで、各地の豪族がさかんに山城を築いた、その一であると思われる。
現在では、祇園社 厳島社を祭った石室が安置され、毎年両社の大祭当日に部落こぞってお籠りをして祭事を奉仕している。
『菊川町史』より引用
城の歴史
詳細不明、鎌倉時代の名族豊田肥前守の家臣茶臼権現の城ということから鎌倉時代にはあったか。
所感
●小ぶりながらしっかりと加工されており、これぞ山城という印象をうける。
●城跡あるあるで本丸には祠があった。
●鎌倉時代とあるが、実際に加工されたのは戦国時代か。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『菊川町史』
公開日2025/08/17