城データ
城名:燧岩城(ひうちいわじょう)
別名:燧岩山城、火打岩城
標高:278m
比高:176m
築城年:戦国時代か
城主:熊谷氏縁の人物
場所:広島市安佐北区可部町上町屋
北緯:東経:34.557736/132.541816
攻城記

トンネルを抜けて進む。

振り返ると山が見えるがこれも城。



さあ、これを直登していく。

藪化しておらず登りやすい。

尾根筋までくればあと半分。

麓もしっかり確認できる。

本丸に到着。




曲輪は何段にもなっている。



思ったよりも広い。

瓦の残欠を発見!!
この場所に何かしらの建物が建っていたことが分かる。

城は尾根筋にあり両端は急峻であった。

下山中。

位置関係

open-hinataより【燧岩城】

余湖図【燧岩城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【火打岩城】

城の概要
本城跡は、根ノ谷川が作り出す沖積地の最奥部西岸の丘陵先端部に位置している。
前面には根ノ谷川を挟んで伊勢が坪城跡があり、直下を上根峠からのルートが通る。
また本城跡からは、北は上根峠から南は三入庄一帯が見渡せ、眺望良好の場所である。
最高所の1郭の背後を堀切で断ち切り、北東に延びる尾根上に小郭を一つ置く構造である。
立地・構造から本城跡は見張りの機能を持つと考えられる。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明。
伊勢が坪城の対面にあり、連携していたものと考えられる。
所感
●道もなく比高の高い城の直登覚悟をしていたが、登りやすい城であった。
●城は単郭のように見えるが、段差もあり曲輪も多くあった。
●一番の特徴は瓦の跡を発見したこと、近世の神社の残欠の可能性もあるが、ロマンが広がる
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/04/20