城データ
城名:隠居城
別名:無し
標高:217m
比高:155m
築城年:戦国時代か
城主:不明(阿曽沼氏縁の人物か)
場所:広島県広島市安芸区瀬野町1丁目)
北緯:東経:34.427428/132.613194
攻城記
隠居城遠景。
比高は高いことが分かる。
墓地から進んでいく。
この先を直登。
急峻でないので登りやすい。
尾根まで到達したらそのまま進んでいく。
山頂部。
本丸部分。
尾根伝いに進む。
逆方向の尾根に進む。
曲輪の跡もしっかり残っている。
瓦発見。
何かしらの施設が建てられた形跡がある。
いつの時代のものだろうか?
曲輪の跡。
本丸に戻る。
位置関係
open-hinataより【隠居城】
余湖図【隠居城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【隠居城】
城の概要
本城跡は、瀬野川北岸の八世以山(標高495m)から南西へ延びる丘陵先端部に位置し、眼下に瀬野川、遠くは海田湾まで見通せる立地である。
1郭の北に階段状に郭を配し、南西の尾根づたいに六つの郭、北東に二つの郭を配している。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明、隠居城あるので阿曽沼氏で隠居した当主の城だったか。
芸藩通志では麓には町屋が形成されており、戦国時代にもすでに形成されていたのかもしれない。
所感
●曲輪跡は本丸ともう一つが明確に分かり、確認しやすい。
●瓦の残欠もあり、建物が建っていたことは分かるが、戦国時代なのか、江戸時代以降なのかは不明。
●大永3年(1523)の尼子氏鏡山城攻撃の時にはこの城も近隣の城と連携して関わったのかもしれない。
関連URL
参考URL
参考文献
『広島市安芸区瀬野町・中野町所在 三ツ城跡発掘調査報告』
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/02/23