城データ
城名:小童山根城(ひちやまねじょう)
別名:無し
標高:430m
比高:60m
築城年:不明
城主:長井田総氏の代官である土屋氏か
場所:広島県三次市甲奴町小童
北緯:東経:34.676659/133.070412
攻城記
山根城全景。
山頂に向かって進んでいく。
削平地。
更に進んでいく。
削平地。
本丸辺り。
堀切の下の部分。
下山して戻る。
帰る途中から上を臨む。
open-hinataより【小童山根城】
余湖図【小童山根城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
最高所の1郭とその北西下4mにある2郭の間の切岸には石垣が見られる。
この二つの郭を中心として小郭が北側に三つ取り付く。
これらの郭群の南東・北西両側に堀切がある。
南東側尾根続きの2条の堀切はともに大規模で,1郭直下のものは深さが15mで,高さ4mの土塁を介した二つ目の堀切は土塁からの深さが16mである。
北西側の堀切の深さは,小郭からが10m,尾根続き側からが3mであり,この先に7段小郭がある。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
山根城は、甲奴町本郷の南に連なる小童の谷間にある城で、小童の集落を北にみる小高い丘の上に築かれている。
甲奴郡の各地域は、小さな谷間に小集落が散在するという大勢力の成長しにくい地勢であるが、この城を築いた者もよくわからない。
稲草(総領町)を置く田総氏の代官が籠もっていたともいわれるが、勢力争いの間に幾度もそ の主を替えたであろうことは、充分考えられる。
現在、城跡は北向きに二段の郭を比較的よく残しており、南側(背後)の尾根 続きは鋭く掘り切り、空堀としている。
上下二段の郭の段差は約四mあり、その斜面に数個の石が残っているが、それが石垣などに使われていたかどうかは わからない。
小童の谷間は祇園社領として古くから開けており、城の北に市場の地名を残していることなどから考えて、この谷を強く支配するための城かとも思われる。
『日本城郭大系』13より引用。
城の歴史
詳細不明であるが、田総氏の家臣が代官として支配されたとも考えられる、そうなると最盛期には田総氏はこの地域まで勢力を伸ばしていたのか。
城の北側に市場の地名もあり往時は交通の要所として賑わっていたと考えられる。
所感
●城は交通の要所であり城の近隣に市場という地名があることから市があった集落が存在していたと思われる。
●城の比高は60m弱あり最高所からは遠くまで見渡せると思われる。
●城の東となりにも麓城という城がある、山根城の守りを固める城か。
関連URL
参考URL
近隣の城。
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2022/09/03