城データ

城名:亀山城

別名:古城山

標高:24m

比高:22m

築城年:不明 1446年頃か

城主:鷲頭興貞 のちに日置氏が入る

場所:山口県長門市東深川

北緯:東経:34.371507/131.183386

亀山城はここ

 

攻城記

寺の奥の山が亀山城

寺は浄土真宗で法蓮寺

寺の右の道を進んでいくと墓地にいく

墓の一番端に登り口がある

登り口 尾根筋なので登りやすい

大堀切がある

堀切から本丸部分を望む

本丸部分に到着

麓を確認

本丸部分はしっかり削平されている

本丸の西側の部分も段階的に加工されている

 

全国Q地図より【亀山城】

【航空写真】

余湖図【亀山城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

当時の推定海岸線

城の北側は海に面していたと思われる

 

鷲頭弘忠の墓(大寧寺)

 

城の概要

長門市役所のうしろの山で、正明市駅からは南西の近いところにある。

 

往古 この辺は、深川湾の波が打ち寄せていたという。

 

小さい丘で、独立した城としては成り立たない。

 

城名も渚に臨んでいる亀の恰好に似ているところから、 名付けられたものであろう。

 

西北が波打ち際に向かっている亀ノ首で、東南が 尾になっている形である。

 

首の方の側を城ノ上、尾の側を城ノ下という。いまは、この山の周囲は人家が取り巻き、 城ノ上の一帯は市街地をなしている。

 

この小丘を城山と見るには、南方の東深川、大河内と称する平野を前にそびえている深川城を主城とした場合は、深川湾が大手となるので、そのような中世山城の構えからはこの小丘は前城の性格をもつ。

 

しかし、前城はいわゆる前基地となるので、それ相当の構えが必要となるので城塞・砦などの構えを設営している。

 

主城山は規模が大きく山が高いので、土地の人も接触がないまま、 由緒も薄れていったのに比し、亀山の方は、昔は容易に登れたので、亀山とい 城名で親しまれ、城山といえば、こちらの方がだれにでも知られたため、この小山の方に比重がかかってきて、 鷲頭弘忠の一族郎党がことごとく殺された 血戦場の深川本城の方は、だれも語らなくなったのであろう。

 

亀山が、城山の役割を果たしたとすれば、文安五年(一四四八)二月、弘忠を搦手から攻めた大内教弘は、長門の国庁に弘忠罷免後に新しく補任された守護代・内藤有貞をして、串崎水軍による水陸両面の作戦を立て、弘忠が船に乗って送電を阻止し、深川城に対する軍船上の措置として、この城山の占拠は重要な意味を持ったことは否めない。

 

教弘は搦手に主力を投じて深川城を落し入れたが、その直前に亀山城は教弘の水軍に占拠されていたものと解する。

 

なお、壇ノ浦合戦で、大内十七代弘盛が源氏に荷担したによって長門国を賜 わったことが、「大内氏系図」に見えるということとこの亀山城を結びつけて、 その頃の築城ではないかと論じる向きがあるが、『長門守護代記』には守護も 同じく挙げられるので、一見してわかるが、大内弘盛の名はない。「大内氏系図」 の弘盛の項に 「元暦年中平家追討之時、為功賞賜長門国」がそれであるが、元 暦という年号は元年(一一八四)ただの一年である。 元暦元年の次は文治であるが、寿永年号からいうと、元暦元年は寿永三年に当たり、壇ノ浦合戦の寿永四 年(一一八五)は、文治元年である。

 

系図の元暦元年には、 安徳天皇は健在で、 まだ壇ノ浦の合戦は始まっていない。おおむね、恩賞の沙汰というのは、一件落着後のことであるので、系図の証文そのものがおか しいのである。

 

『風土注進案』に「大内家 御時代弘盛公の居城なるよし申伝候」とあっても、弘盛は「大内氏系図」で十七 代に当たるというだけで、 周防国庁に一役員として勤 めていたことは考えられる にしても、それ以外の何者でもない。防長において、 大内時代といわれるのは、 二十四代弘世になってからである。

 

また、鷲頭が深川に居館をおくのは永享四年(一四三二)で、文安五年(一四四八)には弘忠・弘貞および弘忠の一族郎党は、教弘のためにことごとく誅伐されているので、この血脈は断絶した。

 

三十代義興の 時、鷲頭大和守興貞という人物の名が「大内家中覚書」に出ているが、深川城 主であった弘忠とは別である。

 

『日本城郭大系14』より引用

 

城の歴史

文安3年(1446):鷲頭弘忠が長門守護代の任を解かれる。この頃弘忠は本拠である深川城の周辺に支城を築くとある

※大内教弘の攻撃に備えた。

 

文安5年(1448):大内教弘が深川城を攻め落城、この時亀山城も落城

 

城主家系図

 

所感

●小ぶりな城ながら大きな堀切もある

●曲輪自体は何重にもあり堅牢さが伺われる

●当時北側は海に面していると思われるので島城としての機能も有していたか

 

関連URL

 

参考URL

亀山城(ウィッキペディア)

城郭放浪記(長門亀山城)

西国のお城(長門亀山城)

鷲頭弘忠(ウィッキペディア)

 

 

参考文献

『日本城郭大系』14

 

公開日2026/01/02

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