城データ
城名:陶氏居館跡
別名:平城
標高:25m
比高:11m
築城年:南北朝時代に陶弘政によって築かれる
城主:陶氏
場所:山口県周南市大字下上字平城(富岡公園)
北緯:東経:34.085138/131.776071
攻城記
朽ちた看板
現在は富岡公園になっている
遺構は何もない
この石碑が無かったら分からなかった
昭和40年頃までは小学校だった
尾根の先端であることが分かる
近隣縁の地
海印禅寺
海印禅寺
陶興明、陶興昌供養塔
陶氏居館跡方向
建咲院
全国Q地図より【陶氏居館跡】5mメッシュ
城の概要
概要
南北朝時代、陶弘政が南朝方の大内弘世に従って、北朝方の鷲頭氏を攻めるにあたり、山口市陶か ら当地に拠点を移し、居館を築いたといわれている。
館推定地は、富田川西岸の標高約25mの丘陵 上にあり、現在公園となっている。
明確な遺構は残っておらず、明治時代の地籍図上でも、館跡を示す地割り痕跡等は見出せなかった。
小字名は平城で、御薗生翁甫1975では、南側の一段低い部分には「にいどん」の地名が残り新館建設地と考えられ、北側の横屋は社家に由来すると述べている。
南には七尾山城、北には上野山城、別所城の陶氏に関係する城がある。
その周辺に館が築かれた可能性 は高いと考えられ、将来の考古学的調査による遺構の検出が期待される。
約200m北にある海印寺には陶弘護の次男興明と陶晴賢の兄興昌の供養塔があり、 約 700 m南の 建咲院には陶興房の墓がある。
『山口県中世城館遺跡総合調査報告書-周防国編-』より引用
城の歴史
南北朝時代:陶弘政が築く。
城主家系図
所感
●現在なにも遺構は残っていない。
●近隣には陶氏の供養塔もあるので散策するといい。
●尾根先を削平地をしており、居館にはもってこいの立地。
関連URL
参考URL
参考文献
『山口県中世城館遺跡総合調査報告書-周防国編-』
『日本城郭大系』13
公開日2025/08/17