城データ

城名:長者山城

別名:無し

標高:516m

比高:261m

築城年:古代

城主:不明

場所:広島県東広島市奥屋

北緯:東経:34.455873/132.605021

長者山城はここ

 

 

攻城記

長者山城遠景。

榎山峠から登頂。

尾根までは急峻だったり平坦だったりする。

一部奥屋方面が見えるところもある。

石柱の右が奥屋で左は安芸区。

尾根の左が土壇と呼ばれるもの(中世でいう帯曲輪のようなもの)

尾根の周囲を土壇で囲っている。

当初はまっすぐに立っていた石も長年の経過で倒れてきている。

門跡。

長者ヶ滝に向かう途中の土壇。

 

別の場所にも石列があった。

長者ヶ滝。

滝を降りてくるとこのような砂防ダムがあった(工事中)

2018年の豪雨で周囲が崩壊。

 

位置関係

 

open-hinataより【長者山城】

 

城の概要

②遺構の概要

門跡と考えられる遺構は、520m (地理院地図では516m)ピークと長者屋敷跡のある 605mの無名峰の間の鞍部(486m)に造られている。

 

古代山城の城門は、谷間の水門石塁の脇、②尾根の先端もしくは左右に振って先端から少し引いた所、そして3鞍部に構築される事例が多い。

 

鞍部に造られた城門としては、基肄城一東北門・北帝門、御所ヶ谷城一東門・第2東門・第2南門、城山城一第1門跡(北門)、鬼ノ城ー北門がある。

 

遺構は非常に大きな石材を用いて、列石と一部石築(石積み・石垣)で造られている。地元で「石と呼ばれていた所以である。

 

長者門の列石の並びの中央は道状に空いており、門道の幅外側正面が4.7m、城内側背面は7.4m、中央は約5mである。城内側が幅広いのはており、当初はハの字状に奥側に向かって開くのかと思われていた。

 

しかし今年1月初ンアプリで撮影したところ、城外側正面から見て右側 (右翼)、左側(左翼)共に正面の列石(城壁)の幅はほぼ同じ 9mで、門道側のコーナーも直角に曲がっていることが判明、左側は稜線の方向に合わせて門道を基点に方向転換しており、これがハの字に開いているように見えた原因だった。右側長さは12.3m、左側長さは13.6mで長さも左右ほぼ同じである。

 

長者門の列石・石築上には版築などによる盛土が構築された様子は全くない。流失して失われたような痕跡もないので構築当初からこの状態だったと推定される。左右共に列石内、列石外の両方に列石大の大きな石材が多数転がっており、石を積み上げる計画だったようにも見える。

 

部分的であるが左側の門道に面した奥の方に門道の側壁を三段に積んだ部分が残る。また右側背面は全て石築で造られている。

 

これに対して左側は正面・背面共に1石で並べており、石を積み上げたのは門道側壁のみで、右側と左側で構築技術や設計が異なっていた印象を受ける。

 

『長者山城跡 新発見の安芸の古代山城 調査報告書』より引用

 

所感

●初の古代山城で、中世の山城とは全く違う造りであった。

 

●山を丸ごと城にするという発想が中世には無い概念。

 

●長者門に関しては古代にこのように石を持ってきて、加工、積み上げしたことに驚く。

 

関連URL

 

参考URL

 

参考文献

『長者山城跡 新発見の安芸の古代山城 調査報告書』

 

 

公開日2024/03/24

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