城データ
城名:長者屋敷
別名:無し
標高:605m
比高:350m
築城年:戦国時代か
城主:天野氏、阿曽沼氏
場所:広島県東広島市奥屋
北緯:東経:34.457250/132.600631
攻城記
長者山城から更に登っていくと到達。
本丸部分。
南の曲輪。
この削平地も曲輪跡か
なだらかな削平地がある。
堀切部分。
位置関係
open-hinataより【長者屋敷】
余湖図【長者屋敷】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【長者屋敷】
城の概要
志和盆地の南西,広島市との境に位置する標高約605mの山頂に位置する。
頂部の郭を中心に西及び南東の尾根筋上に直線的に郭を並べている。南東の尾根上にある3・4郭はなだらかに下っており,自然地形に近い。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明、奥屋を治めていたのが天野氏の為、城主は天野氏と考えられるが、阿曽沼氏も天文22年までに志芳荘の奥屋を所領に加えている為、城主が阿曽沼氏に縁のある人物だった時期もあると考えられる。
所感
●長者屋敷の尾根づたいに登って行くとある、古代山城の中にある中世山城。
●堀切が阿曽沼氏に対抗するように切られているので、築城したのは天野氏とのこと。
●城自体の規模は大きくはないが、眺望がきく場所なので、見張りの為や、天野氏、阿曽沼氏が対尼子氏、若しくは対大内氏に対抗する時に連携を図ったかもしれない。
城から天野氏所領(志和)を望む。
城から阿曽沼氏所領(瀬野)を望む。
グーグルアースより
関連URL
参考URL
参考文献
『広島市安芸区瀬野町・中野町所在 三ツ城跡発掘調査報告』
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/03/24