城データ
城名:柚木城(ゆのきじょう)
別名:京良木城
標高:339m
比高:289m
築城年:戦国時代か
城主:飯田式部越中守(大内氏家臣)
場所:広島県広島市西区己斐町
北緯:東経:34.406063/132.405149
攻城記
普通に行けばよかったものを最短ルートを探して失敗。
石内にある登口が最短だと思いチャレンジ。
藪化されており、これ本当に行けるのか?と不安を抱く。
頑張ってもう少し上がったが断念。
近道できそうな墓地からの直登を試みる。
画像は己斐城(平原城)
道が無いので直登、途中からは何となく道らしきものも発見したが、大変だった。
やっとの思い出通常の道に合流。
普通の道で行けばよかったと後悔。
やっと本丸が見える。
本丸。
単郭っぽい。
眺望も悪い。
もう少し伐採してくれたらいいが。
本丸降りて周りを確認。
どうも曲輪のような感じにも見える。
本丸方面をのぞむ。
削平地っぽい。
迂回路があるが、本丸の南北に削平地がある。
帰り際の木々の隙間からみた広島市内。
立石城方面。
広島市方面。
佐伯区方面。
本来の登山口に到着。
ここから普通に登ればよかった。
位置関係
余湖図【柚木城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【柚木城】
城の概要
本城跡は、広島デルタの西側を囲む山群のうちの柚木城山に位置し、北の立石城跡、南の鬼ヶ城跡に挟まれるように立地しています。
郭は最高所に1郭を配すのみの簡単なものであり、立地、他の城跡との位置関係から考えて、連絡の機能を有するものと考えられます。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
【京良城跡】
己斐峠の南西側にあるのが京良木山で、山頂に京良木城跡がある。
この城は戦国時代の天文年間(一五三二〜五四)の初頭、大内氏と 武田氏が争った頃、大内氏の家臣飯田式部越中守が居た。
更にその後、この城を厳島合戦に毛利元就が海上の見張りに使ったと云う。
山頂の城の本丸は約一〇〇mの平坦地で、そこには、いま標高三三 九・六mの三角点の標識がある。
本丸の周辺から高さ約一〇mの急斜面を下ると、四〜五m幅の平坦地が取り巻いている。
この城跡と己斐峠の頂上を結ぶ稜線が旧己斐村と石内村の堺だが、両村で城などの呼び名が違い、己斐村ではこの城を柚ノ木城、山を柚ノ木城 山と云う。
『ふる里めぐり 石道村と・その周辺の史跡・遺跡』より引用
京良木城
原田郡落と己斐町との境界にある京良木山の頂きにある。
高さ約三三九m。釈迦 ヶ岳の南西方向二㎞。天文初頭の頃大内家臣飯田式部越中守が所居していた。
国郡志下調帳に 「此城大内家の時、飯田越中守在城の由、其の後戦島合戦の時海上警固相成る由申伝候」と記している所を見れば、毛利家は海上の見張りに此処を使ったので あろうか。
『五日市町誌 上巻』より引用。
城の歴史
詳細不明、己斐にあることから己斐氏が管轄していた城か。
所感
●真面目に登山口から登れば40分位で到着できる。
●城自体は単郭であるが、本丸より1段下がったところは削平地もあり、詳しく調べたら城域拡大するかもしれない。
●城からの眺望が悪く、近隣の鈴ヶ峰城、鬼ヵ城、立石城が眺望良い分見劣りする。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『芸藩通志』
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『ふる里めぐり 石道村と・その周辺の史跡・遺跡』
『五日市町誌 上巻』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/03/23