城データ
城名:佐波城
別名:無し
標高:105m
比高:97m
築城年:不明
城主:佐波越中守(備後古城記では佐波越後守景房とある),名倉仲春(備後古城記では名倉雅樂とある)
場所:広島県福山市佐波町
北緯:東経:34.477554/133.343521
攻城記
この山に連なる部分が城域となる。
麓にある草戸稲荷神社。
明王院から登っていく。
この鳥居を進む。
1930年の工事の際に出てきたものをここに集めている。
山頂に向かって登ると山腹に愛宕大権現がある。
でっかい天狗のお面。
更に登っていくと草戸愛宕神社がある。
草戸愛宕神社の上に道があり登るが、城の遺構ではなさそう。
山頂に到着。
景色も良い、当時は全面の土地は海であった。
位置関係
open-hinataより【佐波城】
余湖図【佐波城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
南北に連なる尾根線上に郭を配し,堀切にょってそれらを分断・独立させている。
切岸の不明瞭な郭もあるが,南北両端と中央部の郭群は良好に原状を留めているようである。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
佐波村 福山市佐波町
神島村の西に位置し、南は草戸および長和村。
「福山志 料」は船着という地名をあげ、「ムカシ此谷筋松永マテ海 ナリシヨシイヒツタフ」と記す。
元弘年間(一三三一~三 四)佐波越前守景房が天皇方として挙兵した桜山慈俊に味方して佐波城(城山)に拠ったといわれ(備後古城記)、また応仁年間(一四六七~六九)には渡辺越中守に従った名倉雅楽頭が拠城したと伝える(備陽六郡志、福山志料)。
『広島県の地名』から一部抜粋。
城の歴史
元弘年間(1331~34):佐波越前守景房が天皇方として挙兵した桜山慈俊に味方して佐波城(城山)に拠ったといわれる。
応仁年間(1467~69)渡辺越中守に従った名倉雅楽頭が拠城したと伝える。
所感
●遺構らしいものはあまり見当たらない、山頂からの見通しはよく、周囲を確認する立地とすればいい。
●佐波氏や名倉氏の詳細が分からないが、名倉氏は中山城の渡辺氏に従ったとあるので家臣だったのかもしれない。
●明王院や草戸稲荷神社にも是非立ち寄ってみたい場所。
●1930年の工事で出土した五輪塔や宝篋印塔は古い時代ものだと思われるので興味深い。
関連URL
参考URL
佐波城と佐波越中守 (福山市佐波町)
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2022/05/04