城データ

城名:殿様屋敷

別名:藤内屋敷

標高:380m

比高:100m

築城年:不明

城主:天野氏、土肥藤左衛門

場所:広島県東広島市志和町志和堀

北緯:東経:34.514685/132.681318

殿様屋敷はここらへん

 

 

攻城記

時久神社から登っていく。

道なりに進むが山の中の削平地であり、道に迷う。

このような石が至る所にある。

やっと到着したが、ぱっと見では屋敷跡とは分からない。

屋敷跡は階段状になっており、1段1段はそれなりに高さがある。

石積み発見でここに何かしらのものがあると認識できる。

石垣発見、金明山城と同じ感じの積み方や高さ。

帰りに見た風景。当時もこんな感じだったのであろう。

 

位置関係

open-hinataより【殿様屋敷】

 

 

余湖図【殿様屋敷】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

『芸藩通志』【天野氏宅址】

城の概要

金明山の南の山腹にある居館跡である。

 

規模は約100×100mで,東と西は堀によって区画されている。

 

館内は三つの段に分かれ,石垣,石塁,土塁が用いられている。

 

また,館内ほぽ中央には庭園跡と考えられる遺構が残る。

 

天野氏の居館と伝えられる。

 

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用

 

殿様屋敷

殿様屋敷は志和堀天野氏の居館跡で、本拠とした金明山城の南側山腹に位置する。

 

『芸藩通志』の志和堀村絵図で、金明山の南方に書 き込まれた「天野氏宅跡」がこの殿様屋敷らしい。

 

『賀茂郡古城史』に よると別名藤内屋敷。

 

金明山城の城代土肥藤左衛門がここに居住し記す。

 

金明山城同様、藤左衛門が天野氏の留守を預かっ ようだ。

 

金明山城のある金明山では山頂付近が切り立った急斜面となるが、 裾野にはゆったりとした緩斜面が広がる。

 

殿様屋敷はこの緩斜面の登り口上限に近い標高三六〇メートル付近に築かれていた。

 

屋敷跡の規模はほぼ一〇〇メートル四方。

 

斜面に築かれているため、ひな壇状に造成された三段の曲 輪に分かれるのだが、県下各地に残る土居屋敷の規模が五〇メートル四方程度であることを考えれば、 安芸国の有力国衆であった天野氏の地位にふさわしい規模と言える。

 

『広島の中世城館を歩く』より一部引用。

 

城の歴史

殿様屋敷自体の歴史はあまり残っていないが、当初天野氏が下向した時の最初の拠点かもしれない。

 

ただし、屋敷跡というこで防禦機能はないのと、庭園跡もあるこから純粋な屋敷跡かもしれない。

 

藤内屋敷ともあるが、隆重の弟である隆良の別名が「藤内」であり、この隆良及び彼の子孫が居住した可能性もある。

城主家系図

所感

●中世国衆の居館跡にふさわしい跡である。

 

●石垣部分も多くあり、往時は立派な屋敷であったと思われる。

 

●しかし、加工が途中で終わっている部分や屋敷正面部分に石垣が使用されていないなど、一部不明なこともある。

 

関連URL

【広島県】金明山城【東広島市志和町志和堀】

金明山天野氏の居城。

 

参考URL

城郭放浪記(安芸殿様屋敷)

武家家伝(安芸天野氏)

天野隆重(ウッキペディア)

天野隆良(ウッキペディア)

天野元祐(ウッキペディア)

open-hinata

 

参考文献

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『安芸の城館』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

公開日2022/02/13

 

ホームに戻る

攻城一覧

 

Copyright © 山城攻城記 All Rights Reserved.