城データ
城名:寺家城
別名:無し
標高:246m
比高:5m
築城年:15世紀頃か
城主:原田氏(平賀氏家臣)
場所:広島県東広島市西条町寺家
北緯:東経:34.427838/132.709889
攻城記
バイパスからこの看板が目立つ。
周囲を土塁で囲んでいる。
土塁。
土塁の中は削平地が広がる。
open-hinataより【寺家城】
余湖図【寺家城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
1989年に道路建設に伴い,城跡南西隅の発掘調査が行われている。
平面形はほぼ長方形で,周囲を土塁と堀がめぐり,規模は長辺(南北)が約72m,短辺(東西)が約48mである。
南側中央の土塁が切れた部分が虎口と推定される。
本城跡の北西と南西にも土塁があり,防御機能の一翼を担っていたと考えられる。
本城跡の存続時期は,堀底出土の遺物から15世紀後半〜16世紀前半を中心とする時期と考えられる。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明であるが、平賀氏の家臣である原田氏が在城したとある。
天正15年の年号のある、平賀元相家中対立のいう旧記に原田喜(嘉)蔵という人物がいる。
所感
●形から城よりも土居屋敷のような感じである。
●近隣には荒谷土居屋敷もあり、同じようにこの地域の土豪が屋敷を構えて住んでいたのではないか。
当時のイメージ図。
●戦後すぐの航空写真を見ると、独立した丘陵となっており、微高地に城館を構えたのかもしれない。
戦後すぐの航空写真。
●平賀氏の家臣原田氏が在城したとあるが、そうであるならば平賀氏が尼子氏の家臣だった時に一時的にこの地に所領があったものか。
関連URL
参考URL
参考文献
『賀茂郡史 中世武士編』
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『安芸の城館』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2022/02/12