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城データ

城名:円光寺砦

標高:158m

比高:80m

築城年:不明(戦国時代か)

城主:不明

場所:兵庫県佐用郡佐用町円光寺

北緯:東経:34.970080/134.336706

Google マップ (Google Maps) で緯度経度を指定して場所を見つける方法

※C. フォーマット「度(DD)」の場合を参照。

 

攻城記

神社の階段を上る。

現在は円光寺八幡神社の境内になっている。

祠がある場所は土塁か。

土塁。

周辺部。

土塁がしっかりと残っている。

周辺部。

 

位置関係

尼子勝久や山中鹿介が籠城していた上月城の近くに位置する。

 

余湖図【円光寺砦】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

ひなたGIS【円光寺砦】

 

 

城の概要

詳細は不明であるが、砦ということから以下の事が考えられる。

 

織田氏と毛利氏の合戦が繰り広げられた上月合戦は天正5~6年(1577~78)の間、上月周辺を中心に繰り広げられた。

 

この頃に愛宕山には円光寺砦が、南側には飯ノ山城・浅瀬山城が築かれている。

 

特に天正5年11月28日には秀吉方の上月城攻めが行われ、激しい戦闘が行われたが、伝承ではこのとき敗走する宇喜多勢を追って円光寺集落の西側周辺で合戦が行われたという。

 

ここには「戦橋」と呼ばれる橋があるが、ここがまさにその激戦地となり、川が血で染まったという言い伝えが地元に残る。

 

『信長公記』ではこの戦いの後、敗れた上月城内の「あしよわ」(婦女子)が国境近くで串刺しや裸にされたことが語られているが、当時の記憶が地元にこのような伝承を記憶させたのであろうか。

 

いずれにせよ、おそらく円光寺周辺もこの凄惨な現場の1つとなったことは疑いがない。

 

住人達がこのときどのような状態であったかを具体的に伝える史料は残されていない。

 

しかし、この事件によって平瀬集落が断絶した形跡はなく、集落構造に影響があった痕跡もない。このことから彼らは達しく苦境を乗り越えたと想像しておきたい。

 

『兵庫県文化財調査報告 第337冊 平瀬遺跡』から一部引用。

 

 

城の歴史

上月合戦は天正5~6年(1577~78)の間に砦として使用されたと考えられる。

 

所感

●詳しい資料が無いため詳細不明。

 

●砦ということで一時的に立て籠もったものだと考えられるが『信長公記』や後世の伝承から悲惨な戦がこの地域であった。

 

●現在は一部八幡宮となっている。

 

 

関連URL

 

 

 

参考URL

『兵庫県文化財調査報告 第337冊 平瀬遺跡』

 

 

参考文献

『兵庫県の地名』

『日本城郭大系』12

 

公開日2021/09/19

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