城データ
城名:赤城
別名:赤城山城
標高:391m
比高:90m
築城年:不明
城主:小笠原氏
場所:島根県邑智郡川本町大字川本
北緯:東経:34.990330/132.513794
※C. フォーマット「度(DD)」の場合を参照。
攻城記
途中まで道がある。
車を止めて攻城開始。
道なりに進む。
本丸到着。
ここが本丸であろう。
公園化しているよう。
周辺部。
弓ヶ峯八幡宮
城に行く手前にある八幡宮。
小笠原長親の時に1233年に勧請する。
立派な本殿。
位置関係
余湖図【赤城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
温湯城より先に築かれ、温湯城に小笠原氏の本拠が移されてからは温湯城の出城として扱われたとされる。
温湯城を見下ろす位置にあり、江川が見渡せる。
赤城山、中山、城山から構成される大きな城だが、毛利氏の進攻時に小笠原氏にようて中心部だけが改修強化されたものと推測される。
「土居」「赤城山」「中山」「城山」の字名が残る。
島根県教育委員会『島根県中近世城館跡分布調査報告書』より引用
城の歴史
建武年間(1334~1339):小笠原長胤によって築城された。
建武3年(1336):小笠原長胤は北朝として従軍して南朝の楠木判官(楠木氏代官、福富氏)を討取る功をあげ、赤城と温湯城の地を賜り築城する。
長胤の嫡男、長氏の時代には銅が丸鉱山を有してその経営拠点としても活用された。
その後温湯城築城の際にその支城となる
永禄元年(1558):毛利氏が温湯城を攻城の際に先立って攻略落城する。
城主家系図
城主石高
小笠原弾正(元枝)
540.274石
【内訳】
340.148 長門 阿武
200.126 出雲 神門
後世小笠原氏は出雲に転封される。
所感
●地図で城山とあったのでてっきり温湯城と思っていくが、赤城とあり違う場所と認識。
●小笠原初期の居城である。
●城の普請は単純で温湯城が築かれる前の簡単な城だったと思われる。
●堀切が特徴であるが藪化で詳しくは不明。
●公園化されており、9合目くらいまで車で行けるので簡単に本丸まで到着できる。
関連URL
小笠原氏中期の城。
戦国末期の城。
参考URL
参考文献
島根県教育委員会『島根県中近世城館跡分布調査報告書』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩諸家系譜』
『島根県の地名』
『萩藩閥閲録』
『小笠原十五代伝記』
『石州白銀浪漫』
公開日2021/07/25