城データ
城名:四貫分城
標高:250m
比高:20m
築城年:戦国時代か
城主:不明
場所:広島県安芸郡熊野町萩原
北緯:東経:34.340309/132.594744
攻城記
堂風呂神社があり、そこから入っていく。
城域は墓所となっており大幅な改変が行われている。
麓をのぞき込むが急である、切岸に思える。
反対側。
本丸部分と思われるが当時の面影はなさそう。
高台にあり、見通しは良い、土岐城の支城としての機能を有していた。
古い墓。
墓碑確認すると43代であった。
墓所の奥を更に進むと神社がある。
龍王神社(萩原神社)
神社部分もかなり広い。
土塁っぽいが当時のものか不明。
土塁から覗き込む。
下にも曲輪のような削平地がある。
四貫分城矢竹。
位置関係
open-hinataより【四貫分城】
城の概要
四貫分城跡北から南へのびる丘陵の先端部に位置し、標高は二五〇〜 二六〇メートル、平野からの高さ約三〇メートルである。
城跡は、道上川 北側の谷の最も奥まったところにあり、西側には、沖積低地がびろがり、 東側は狭い谷となっている。
城の西側は急峻な崖となっており、西からの 攻めに対して堅固な防塞となっている。
また、北側背後も堀切りによって分断されている。
丘陵尾根を中心に五つ以上の郭や空堀 があり、城の南側には、「ネゴヤ(根小屋)水路」、「ネゴヤ土手」、「土居屋 敷跡」(屋号四貫分=士官分)と呼ばれる場所が残っている。
『芸藩通志』によると、本城跡の北側丘陵上手にある土岐城の外城と伝えられている。
『熊野町史 通史編』より引用。
城の歴史
詳細不明であるが、土岐城の外城とあるので、それに関連した歴史だと思われる。
所感
●遺構は残っていながいが、丘陵に位置しており城の東西は急峻で切岸にも見える。
●墓所には梶山姓が多くいたが、この梶山氏が榊山神社宮司や江戸時代の庄屋だったことから、この城と梶山氏との関連はあると思う。
●龍王神社も古い神社だと思われるが、その周囲の麓にも削平地があり曲輪だと考えられる。
関連URL
四貫城の本城。
参考URL
参考文献
『広島県の地名』
『熊野町史 通史編』
公開日2021/07/04