城データ
城名:太閤ヶ平陣
標高:240m
比高:240m
築城年:天正9年(1581)
城主:羽柴秀吉
場所:鳥取県鳥取市帝釈山
北緯:東経:35.511196/134.256516
攻城記
太閤ヶ平から鳥取城を望む。
無線中継所が見えれば到着。
下から歩いて1時間位で到着。
このような堀が出てくる。
全国統一を目指す織田信長は、中国地方に勢力を持つ毛利氏と対立を深めて行き、天正8・9年(1580・81)の2度、羽柴(後の豊臣)秀吉を総大将として鳥取に侵攻し、毛利方の拠点であった鳥取城(久松山頂)を攻めました。
この地に築かれた秀吉本陣は、高低差4m以上の土塁(土の堤防)と空堀に囲まれ、内寸58m、櫓台も設置した、大型かつ強固な防御性を備えた構造をしています。
また、周囲のあらゆる尾根に陣城を配置し、鳥取る強大な包囲網を敷いています。本陣および陣城群は、一城を攻めるにはあまりに大規模であることから、毛利氏との本格的な戦闘に備えた陣城であるとともに、信長を迎え入れるための本陣でもあった可能性が指摘されています。
鳥取市教育員会
美しい堀。
400年以上経過してここまで綺麗に残っていることは珍しい。
本丸。
その他周辺には削平地も多くから、秀吉軍の土木技術水準の高さが分かる遺構。
無線中継地もあるが、ここも曲輪であったと考えられる。
位置関係
余湖図
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
太閣ヶ平陣は、帝釈山の本陣あるいは御本陣山ともいうが、久松山の東北に あたり、標高二四〇mの帝釈山にあった。天正九年(一五八一)、羽柴(豊臣)秀吉が鳥取城を攻撃した時、この山頂に本陣を置いた所である。
山頂を削平し、大土手を築き、空堀を掘り、所々に櫓をあげたといわれてい るが、現在でも土塁・空堀の跡をみることができる。
本陣の広さは、およそ九 〇ヵ四方あった。 現在では、太閣ケ平の東北部にマイクロウエーブの中継所が建てられたため 登山路も改修され、山上からの展望も開けた。
『日本城郭大系14』より引用。
城の歴史
天正9年(1580)に羽柴秀吉が鳥取城攻略の為に築城した陣城。
所感
●アスファルトで整備された道を1時間弱登っていけばたどり着く。
※車での通行は可能であるが、麓で通れなくなっており、実質車では行けない。
●城域の遺構は堀が残っており当時を想像できる環境。
●陣城にしては精緻な造りをしており、織田信長を迎えるための城といっても過言ではない。
関連URL
太閤ヶ平陣から鳥取城を攻めた。
鳥取城攻防戦ゆかりの城。
参考URL
【鳥取城攻略】太閤ケ平【空から攻める山城】ドローン空撮 Mavic2pro The Taiko ga naru castle
参考文献
『鳥取県中世城館分布調査報告書第一集(因幡編)』
『日本城郭大系14』
『新修鳥取市史 第一巻 古代・中世編』
『鳥取県の地名』
『因伯の戦国城郭 通史編』 高橋正弘著
公開日2021/04/11