城データ
城名:妙見山城
標高:35m
比高:30m
築城年:天正年間(1573〜1592)
城主:秋里玄蕃允
場所:鳥取県鳥取市杉崎
北緯東経:35.465924/134.253978
攻城記
前方の小山が妙見山城。
人材は神社になっている。
そのまま進んでいく。
本丸まですぐに到着する。
削平地。
本丸到着。
現在は神社になっている。
本丸の城域は広い。
近隣の削平地。
現在は竹藪になっているが、藪化していないので行動しやすい。
位置関係
余湖図
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
若桜街道を西側に見下ろす丘陵頂部に位置する。北東端の郭が主郭になると思われ、その北西側には腰郭が造られている。南東端には土橋
らしきものや虎口らしきものも見られる。
『鳥取県中世城館分布調査報告書第一集(因幡編)』より
妙見山城は杉崎集落の東、現在の妙見社のある山にあった。
天正の初め、高 草郡秋里(鳥取市秋里)の城主秋里玄蕃允が山中鹿之助に味方してここに移り、 武田高信に対した。
その後、秋里氏が豊臣秀吉の鳥取攻めの時に吉川経家に味方して鳥取城に移 ったので、当城は廃城になったという。
『日本城郭大系14』より
城の歴史
天正年間(1573年〜1592年):秋里玄蕃允が山中鹿之助に味方して武田高信に対抗。
天正9年(1581):豊臣秀吉の鳥取城攻めの時には吉川経家に味方し鳥取城に入城したため廃城となる。
所感
●城主は高草郡秋里城主秋里玄蕃允。
●現在は神社になっており、本丸部分はかなりの広さを有している。
●比高も高くなく、大きな加工もされていない、交通の要所で監視をする機能を有していたかもしれない。
関連URL
秋里氏の城である今木山城。
秋里玄蕃允が山中鹿之助に味方して武田高信に対抗した甑山城。
隣に立地している妙見山城。
参考URL
参考文献
『鳥取県中世城館分布調査報告書第一集(因幡編)』
『日本城郭大系14』
『鳥取県の地名』
公開日2021/04/03