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実例9【小谷家、青山家】

hpuppet / Pixabay




小谷家

小谷家は私の高祖父の実家の家です。

※私の父の母の母の父の実家

 

私の父の母の母の実家である岩田家の戸籍を遡っていくうちに、「岩田源治郎」が養嗣子で小谷家から来たことが判明しました。

そうなると、この実家の家の事が気になり、手紙を書こうと思った次第です。

 

間一髪での先祖探し

幸い小谷家は4軒くらいでしたので「源治郎の父親である小谷延蔵さんは知りませんか?」という手紙を書いたら、「自分の家である」という方から手紙を頂きました。

 

手紙には「私たちには子供がいなく親戚も少なく、もし来る便があればよってください」とあったので、大学1年のころ原付で5時間かけてお邪魔しました。そうしたら位牌や旧墓があり1700年代まで判明しました。

 

そんな小谷家の当主も私が大学3年の頃には亡くなられました。まさに危機一髪でした。

 

もし亡くなっていたら位牌も墓も分からなかったでしょう。

 

当主の話によると

●昔は下役人みたいなことをしていた。

 

●たたら製鉄に関係ある家であった。

 

●昔は分限者であった。

 

●屋号は「保賀」である

 

※地名が「保賀谷」なのでそこから引用されたと推測。

 

小谷の旧墓にも保賀宇右衛門姉(坂根冶兵衛母)天保6年3月25日亡とある。

※坂根は保賀の隣の字です。

 

悲しいお墓

1995年頃に当主が亡くなっていましたので、それ以降は行く事もありませんでしたが、2004年頃に気になって墓参りをしました。

2004年当時の墓石群。

 

当時当主の奥様も既に施設に入所しており荒れるに任せていました。

 

しかし、まだ墓所も分かりましたので少し安心して手を合わせて帰りました。

 

時代は更に下って、10年後の2014年に再度気になって墓参りを行いましたが、どこに墓があるのか全く分からないような荒れ具合。

なんとか、草をかき分け発見しました。

 

10年でここまで荒れ果てていました。

 

少し悲しい気持ちになりました。

立派な墓ですが、草木が繁茂していました。

 

 

この墓に関しては倒れており、なんとか立て直しました。

 

このように人の手が入らなくなったら一気に草木が繁茂してしまいどこにあるかも分からない状態になります。

 

更に3年後の2017年に確認した時にはどこにあるのか、もう分からない状態になっていました。

 

2017年にどうしていったかと申しますと、この小谷家の家紋が不明だった為です。

 

この墓所は旧墓であり、江戸時代の先祖の墓になります。

 

家紋への情熱

明治以降の墓に関しては自分の直系尊属ではないので、そこまで興味を持っていませんでした。

 

しかし、家紋について不明なところも多く、新墓だったら家紋が彫ってあると思い、近隣の墓所を探して、小谷家の新墓を探し出しました。

 

非常に立派な新墓で私は大学1年生の時にお世話になった当主もこちらのお墓に葬られていました。

因みに家紋は抱き茗荷でした。

 

養子の方がいると聞いたことがあるので、墓守はいると思いますが、残念ながらあの旧墓は元には戻らないと思うと、悲しい気持ちになりますし、逆に自分が草木を刈って綺麗にしたいと思う気持ちにもなります。

 

学んだこと

●手紙を書いたら快く家に招かれたことは経験として非常に良かった。

 

●これ以降手紙を書くことが苦にならなくなった。

 

●当主に会うには出来るだけ早くに行動をしないといけない。

 

●墓守がいなくなったら、お墓はすぐに荒れ果ててしまう。

 

●先祖を探すときには多くの方に(特に古い先祖を探すときには、関係があると思われる方全て)手紙を書かなければならない。

 

●そうなったときに躊躇していてはなかなか進まないが、思いきって行動してみると、思いがけない収穫があることがある。

 




青山家

青山家は私の6代前の先祖です、直系尊属に「六左衛門」という人物がいました。

 

戸籍から村が分かりましたので、現在の同じ地区の同姓の方に手紙を書いたら返信され「実際に青山六左衛門はいます」とありました。

 

実際に伺い墓を見せてもらいました。墓所に案内されてみましたが、墓が沢山ありました。合塔で1代から10代までの先祖の戒名と没年が彫ってありました。

 

青山家の墓所

生前と並んでいる墓石群

 

五輪塔の残欠も確認できる。

 

この家も昔からの旧家で一番のが元禄時代の年号が彫ってありました。

 

そのときはそれに満足し、位牌や過去帳のことは調査しませんでした。

 

2004年になって、青山の家紋をみたら杏葉でした。

 

当時はそこで諦めていました。

なぜなら、菩提寺の和尚がいなかったからです。

法事等は別の寺にて実施。

 

その後10年近く経過した2010年頃に、お寺を確認したら、住職がいました。

話をよく聞くと、先代の住職はハワイに布教に行き戻ってこないので、代理で寺を管理しているとのこと。

過去帳は先代住職の親族のお寺にあるとのことでした。

 

そこで、親族のお寺に事情を説明してから、過去帳から青山家について確認をお願いしました。

そこには、お墓にはいなかった先祖が沢山出てきており、興奮した事を覚えております。

 

学んだこと

●真摯に手紙を書くと返信されることが多い。

 

●先祖を遡ると高祖父で16人5台前は32人、その中には旧家があったり、先祖を尊ぶ家がある、そのような家では古い墓や位牌もある。

 

●お寺が廃寺になると、過去帳が確認出来なくなり遡れないことが発生する。

 

●しかし、紛失した訳ではないので、現在保管している場所を確認出来れば更に遡ることが可能。

 

●お寺の過去帳は非常に重要であり、家の位牌やお墓には記載されていない人物も多くいるという認識になる。

 

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