城データ
城名:高木大塚城
標高:88m
比高:33m
築城年:(天正6年(1578年)3月から天正8年1月)三木合戦期間中に築城された。
城主:不明
場所:兵庫県三木市別所町朝日ケ丘
北緯:東経:34.786816/134.971188
攻城記
周囲を土塁で囲んでいる。
土塁の窪みには水が溜まっていた。
周辺部。
全景。
大塚城
この付城は、三木城を兵糧攻めにするため築かれた30余りの付城の一つで、絵図「三木城地図」に描かれています。
宙輪は主郭のみで、桜苔を中心に配し、その周囲を十字の形に土塁で囲み、南西に虎口(出入り口)を設けています。
曲輪の広さは約3,600mで、古墳が所在する周囲を含めると約6,500mが残っています。
土塁が十字形に四方に張り出しているのは、正面だけでなく側面からも攻撃できるように意識し築いたもので、これを横矢掛りと呼んでいます。
檜台は一辺約20mの隅丸方形を呈する高さ約15mを測る規模で、周辺に古墳(塚)が点在することから、古墳群中最も大きい古墳を利用して築かれたものと考えられています。
こ
のことからこの付城を「大塚」の名称を用いて「大塚城」と呼んでいます。なお、この付城を守った武将については、残念ながら分かっていません。
【横矢掛り】 江戸時式に重場されに場位嫌 禁緒」や作国「三木域地国などに。 これら付造県の記表が見られます、 40〇年以上を経通した会も 約半数の特益が残っています.
位置関係
余湖図【高木大塚城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
ひなたGIS【高木大塚城】
城の歴史
三木合戦(天正6年(1578)3月から天正8年(1580)1月)で築かれた。
所感
●城の面積も狭く単郭であり、どこまで防禦機能があったか不明。
●このような砦のようなものを三木城の周囲に築城することで圧倒的な兵力を持って相手の戦意を失わせたのだと思う。
●土塁は案外残っており見ごたえがある。
関連URL
三木城包囲付城群。
三木城。
参考URL
参考文献
『兵庫県の地名』
『日本城郭大系』12
公開日2021/09/18