城データ
城名:這田村法界寺山ノ上付城(ほうだむらほうかいじやまのうえつけじろ)
標高:78m
比高:43m
築城年:(天正6年(1578年)3月から天正8年1月)三木合戦期間中に築城された。
城主:宮部継潤
場所:兵庫県三木市別所町東這田
北緯:東経:34.791695/134.966247
攻城記
麓の看板
「三木峡跡及び付城跡。土塁」
這田村法界寺山ノ上付城跡
(平成成25年3月指定)
所在地:三木市別所町束延田·高木
三未と姫路を結ぶ湯の山街道の南側に建つ法界寺の背後の山上に位置します。
北東に三木城跡との先に秀吉の本陣平井山ノ上付城跡を見通すことができます。
城主は、羽菜(後の皇臣)秀吉の重臣・宮部継璃と伝わっっています。
城は主郭(1) と副郭(Ⅱ)を中心部とし、その北側斜面に広がる受状の平坦地群(Ⅲ)や主郭南側の土塁に区切られた空間 (Ⅳ・V)に軍勢が駐屯したと考えられます。
なお、別所氏を支援する毛利車が明石方面から三木城へ兵糧を選び込むのを防ぐために織田が築いた土塁が、当城を起点として築がれており、この城の南東側には6条からなる土塁(朝日ヶ丘士塁)が残っています。
このようなしっかりした案内図があるのが嬉しい。
多くの兵士を駐屯させる為に削平地を作っている。
いまいちよく分からない。
土塁で囲まれているらしい。
主郭であるが、特段加工されている感じはうけない。
横堀:なんとなく分かる。
虎口らしいが不明瞭。
難しい・・・
法界寺
最近建立された別所氏縁の墓所。
位置関係
余湖図【這田村法界寺山ノ上付城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
ひなたGIS【這田村法界寺山ノ上付城】
城の歴史
三木合戦(天正6年(1578)3月から天正8年(1580)1月)で築かれた。
所感
●豊臣秀吉が築城した陣城の1つで城主は宮部氏。
●城域は広く、付城の為多くの兵士を駐留させるので曲輪も多い。
●麓には法界寺があり別所氏家臣の墓所もある。
関連URL
陣城の1つ。
参考URL
参考文献
『兵庫県の地名』
『日本城郭大系』12
公開日2021/09/18