城データ

城名:七ツ尾山城

別名:無し

標高:250m

比高:50m

築城年:『未指定文化財総合調査報告書 史跡-中世-編』では「築・在城者」として江良弾正、宇野式部大輔倫友と記載されている

城主:不明、大内氏に関係する人物だと思われる

場所:山口県山口市上宇野令

北緯:東経:34.198684/131.478151

七つ尾山城はここ

 

攻城記

神福寺から進む

墓地の一番奥から進んでいく

道はならだかで歩きやすい

このような感じを進んでいく

最初の曲輪に到着

このような縄張り図があり、今どこかが一目瞭然で分かるのがいい

最初の曲輪から西に降りていく

この曲輪もいい

井戸跡ような窪みがある

西からの敵をここで食い止めたか

次の曲輪へ

広さもある

一旦降りる

堀切

ここで終わりだと思ったがまだ本丸が残っていた

とにかく細長い城

一回降りる

ここからは道が粗くなる

そして、長い本丸まで15分くらいかかる

この鳥居が見えたら本丸までもう少し

享和3年(1803)なのでそこまで古くはない

最後の登坂を一気に登っていく

お地蔵様が安置されている

本丸部分

やっと本丸に到着

本丸降りたところの曲輪

 

位置関係

 

全国Q地図より【七ツ尾山城】

 

余湖図【七ツ尾山城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

七ツ尾山の山頂から尾根筋沿いに広がるとされる中世城郭です。大内弘世が厚東氏に対するために築いたものか、それ以前の城と考えられています。山口盆地の北域を画するため、古城ヶ岳とともに城下防衛の北側の要衝ととらえることができます。

『山口市文化交流課 中世の城跡』より

 

城の歴史

詳細不明

『未指定文化財総合調査報告書 史跡-中世-編』では「築・在城者」として江良弾正、宇野式部大輔倫友と記載されている

●江良氏は陶氏の家臣(城の東側に江良という地名がある)

●宇野氏は大内氏の分家筋(城の場所が上宇野令という地名)

 

所感

●尾根上に曲輪を作成しており城名通りの曲輪数を誇る

 

●城域が長大で本丸に行くまでには相当距離があるが、急峻な場所がないので楽にいける

 

●整備をされている方がおり「城郭放浪記」の縄張り図を曲輪に設置しているので今どこか分かりやすい

 

●大内氏の北方を意識した城だと思われる

 

関連URL

【山口県】高嶺城【山口市上宇野令】

【山口県】長山城【山口市亀山町】

 

参考URL

城郭放浪記(七ツ山尾山城)

中世の城跡(山口市文化交流課)

 

参考文献

『日本城郭大系』11

『未指定文化財総合調査報告書 史跡-中世-編』

『萩藩諸家系譜』

 

公開日2026/01/25

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