城データ
城名:良君城
別名:郎君城
標高:34m
比高:0m
築城年:不明
城主:矢田氏
場所:山口県山口市大内矢田字郎君城(光円寺内)
北緯:東経:34.154831/131.503766
攻城記

現在は円光寺になっている




矢田(大内)弘家の供養塔がある



詳しい説明がある
城の概要
永仁 正安頃
第廿一代多々良姓大内氏弘家 この地に居住し矢田太 郎と称する
良政を行い民衆に慕われ 良君(ロウクン)と称えられたので弘家の館城 良君城(ロウクン ジョウ)と呼ばれるようになる
後に明王(メイオウ) とも称えられ光圓寺山明應山の由来となる
正安二年
一三〇〇
弘家没 この地に供養塔建碑される
その後良君城址より南は木々が茂り森とならずに広大な野原となったので大野(オオノ)と呼び良君城址より北の地を「多々 良」の「君」の「城郭内地跡」ということからであろう
同じく良君城とし ラクンジョウと呼ぶようになる
天文廿年
一五五一
第卅一代多々良姓大內氏義隆没 正統断絕
看板より引用
城の歴史
1293~1302頃:矢田太郎(大内弘家)がこの地に居住する
城主家系図

矢田義宣:天文7年山口に於いて死
矢田隆通:天文20年9月13日大内義隆の為 黒川にて切腹 33才
矢田元直:元就公より720石を賜る
矢田貞政(元行?):備後にて浪人 寛永元年芸州で死
矢田就定:輝元公に仕え芸州にくる 元和4年死
矢田就政:慶長18年萩に於いて死
『萩藩閥閲録 巻101 矢田正左衛門』より引用
所感
●現在はお寺になっている場所に城(居館?)があったらしい
●当時の城の範囲はどこかは不明
●大内家で特に目立った一族ではなかったが毛利氏の家臣となり江戸時代も続いた
関連URL
参考URL
参考文献
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2026/01/02