城データ

城名:春日城

別名:無し

標高:74m

比高:60m

築城年:不明

城主:下河内原宗左衛門衛門尉

場所:島根県松江市東出雲町大字春日

北緯:東経:35.424640/133.114692

春日城はここ

攻城記

春日神社を目指す

裏山を直登する

緩やかな山肌で登りやすい

尾根に到着

東を目指す

河原石

本丸に到着

山頂の三角点

河原石は投石用か

城域は歩きやすく確認しやすい

土塁

降りたところに横堀がある

横堀

横堀から本丸を望む

城からの遠景

 

位置関係

 

余湖図【春日城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

概要

当城にたてこもった下河原宗左衛門尉は、 応仁二年 (1468) に尼子清貞に攻められて当城は落城した。

 

年季の判明する史料で実在を確認できる、数少ない遺構である。

 

郭の普請は全体に雑であるが、ほぼ同高度に頭を持つ、2本ずつ3セットの竪堀群と単独の竪堀2本とからなる竪堀群が認められる。

 

ただこの竪堀群は応仁期のものでなく、 戦国期に陣城として再利用されたおりのものであろう。

 

『島根県中近世城館跡分布調査報告書 第二集 出雲、隠岐の城館跡』より引用

 

春日城の築城と改修

春日城跡は、 意宇平野の南縁に連なる丘陵の突起部上 (標高七四,四八㍍) に位置する。

 

意宇川春日城の 築城と改修 の右岸に面しており、対岸の東出雲町春日と今宮の集落を見下ろす位置にある。

 

この突起部の西側は細長い春日谷が南西方向に食い込んでおり、八雲町東岩坂を経て「岩坂・外波両所」に通じている。

 

春日城跡は頂部の主郭とその北側に約二が下がった位置の曲輪からなる小規模な山城である(図4-2)。自然地形に即して造成されたらしく、二段の曲輪はいずれも不定形で上面の削平も十分でない。

 

主郭の南端には三〇程度の土塁(図4−2a)が認められるが、南西端は傾斜を残したままである。

 

当城跡で注目すべきは、北東から北西の緩斜面に掘られた連続竪堀であろう。北東斜面に四本、北方から北西斜面に六本が、ほぼ同高度を始点 (竪堀の掘り始めの頭 の部分)として放射状に下っている。

 

さらにその上方に横たわる横堀状の空堀には、その途中が膨らんで幅広になっている(図4−2b) のが認められる。

 

この膨らみ はほかの竪堀の始点と同高度なので、いったん掘られた 連続竪堀の一本をつないで横堀状の空堀としたのであろう。

 

おそらくその普請は連続竪堀のさらに北東下方に掘られている堀切(図4-2c)と同時期で、この堀切と連携して北方緩斜面を防御しようとする縄張りであったと考えられる。

 

というのも、城域の北方には神子谷と呼ばれる枝谷が東側から食い込んで西側の春日谷へと連絡しているからである。

 

神子谷の谷奥に小規模な土橋(図4−2d)、堀切の中央部を削り残したり稜線の両側を削り落として通路としたものも確認できるが、これも同時期の普請であろう。

 

問題は連続竪堀を中心とする北東から北西緩斜面の普請の時期である。結論的にいって、応仁の乱初期の下河原宗左衛門尉による普請ではなくて、雲芸攻防戦か尼子家復興戦の時期に毛利方によって付け加えられた遺構であろう。

 

出雲国東部における連続竪堀の始まりは、雲芸攻防戦末期に富田城包囲陣を形成した、後述する京羅木山城跡 (東出雲町上意東) や勝山城跡 (安来市広瀬町石原) (島根県教育委員会 一九九八)と考えられるからである。

つまり、下河原宗左衛門尉らが立てこもった春日城は、丘陵中の突起部を削平して二段の曲輪としただけの簡素な造りの山城だったのではあるまいか。

 

せいぜい、曲輪の縁に柵か塀をめぐらし、伐採した立木をそのまま倒して逆茂木として斜面防御とした程度ではなかっただろうか。

 

そして、後世それが意宇川沿いと春日谷の交通路に対応した小兵力の監視哨として再利用されたのではないだろうか。」

 

なお、下河原氏は近江国を本貫とする出雲国の有力国人である。

 

春日城と下河原氏のつながりを直接示す史料はほかに見当たらないが、今宮集落のうち春日城跡側に「向河原」という通称地名のあることから考えると、意宇平野の南縁に所領を持ち近隣の春日山に普請して所領支配の拠点としていた可能性が考えられよう。

 

 

『松江市史 通史編2 中世』から引用

 

城の歴史

応仁2年(1468):春日城に立て籠った下河原宗左衛門が尼子清貞に攻められて落城する

1562~66:雲芸攻防戦 1569~71:尼子家復興戦 この時に毛利氏が改修したと思われる

 

所感

●竪堀や横堀が多く山城の雰囲気を出しているがこれらは毛利氏の築城の特徴であり、毛利氏が大幅改変したと思われる

 

●本丸の遺構はしっかりと残っており、土塁なども確認しやすい

 

●本丸から降りたところに横堀がありしっかり加工されている

 

関連URL

【島根県】禅定寺城【松江市八雲町西岩坂】

 

参考URL

城郭放浪記(春日城)

 

参考文献

『日本城郭大系』11

『島根県中近世城館跡分布調査報告書 第二集 出雲、隠岐の城館跡』

『松江市史 通史編2 中世』

 

公開日2025/11/30

ホームに戻る

攻城一覧

 

Copyright © 山城攻城記 All Rights Reserved.