城データ

城名:宮田城(くんだじょう)

別名:無し

標高:60m

比高:55m

築城年:鎌倉時代とあるがあくまでお伝承

城主:隠岐氏

場所:島根県隠岐の島町東郷

北緯:東経:36.220334/133.336253

宮田城はここ

 

攻城記

宮田城遠景

 

史 跡

宮田城

宮田城の築城は、鎌倉時代にさかのぼると伝えられている。 その当時、隠岐を管轄した守護佐々木氏によってその原形が造られ、後守護代となった隠岐佐々木氏によって整備されたとされる。

 

室町 時代に入って、尼子の一族が守護代となり、隠岐国の領主となっていった。後に本拠地を「国府尾城」に移転したが、その後も宮城 引き続き城塞としての機能を持ち、「山中鹿介」らが「尼子勝久」 を奉じて但馬から隠岐に渡ってきたときも、隠岐佐々木氏は、この宮田城を提供した。(「出雲史記」 「隠州視聴合紀」「国代考証」)

 

この城は、典形的な海域(水軍城)であって、北側(現在は埋め 立てられている)は当時は内湾に面しており、船溜まりとして利用 されたものと考えられる。

 

敵が侵入できにくいと同時に、物資の積み込みなどに都合のよい地形であった。「主郭」からは「国府尾城」 がよく見え、容易に連絡がとれる位置関係にあった。

 

また、西郷湾の間口や「愛宕山」「金峰山」の眺望もよく、舟の入港をチェック するにもよい位置にあった。

 

城の四方は、岩石の露出した崖が取り巻き、攻めにくい地形である。南側の尾根は、俗に「七堀」と呼ばれる「堀切」によって遮断されている。

 

この堀切のすぐ上に舌状の「曲輪」が造られているが、 堀切を突破してくる敵を迎え撃つためのものと考えられる。

 

又、南 西の麓付近には、「虎口」を二ヶ所設けた「館跡」が見られる。

 

平成十年三月

西郷町

隠岐島後教育委員会

 

攻城開始

このまままっすぐ行ってはいけない

怪しい

シダだらけの道になる

戻って

看板すぐ隣の道があるので探す

ここから入る

しばらくこんな感じ

尾根筋にいくと楽になる

最初の曲輪に到着

矢竹も繁茂している

小規模な曲輪あり

 

ここを登る

本丸到着

本丸は歩きやすい

国府尾城方面

河原石もある

降ったところの尾根先端からの港

当時は左まで港があった

この部分も入江であった

後年埋め立てられた

奥まっているので波も穏やか

 

位置関係

 

全国Q地図より【宮田城】

 

余湖図【宮田城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

江戸時代の古地図

城の概要

西郷湾のもっとも奥部で、かつては城域の北側にも西郷湾が湾入していたというから、北部と東部が海に面した孤立丘の上に地取りした海城である。

 

南方は堀切で切断しているが、駐屯空間として利用できそうななだらかな丘陵が続く。

 

主郭南西の地点に居館跡らしい平坦面も残されている

 

『島根県中近世城館跡分布調査報告書 第二集 出雲、隠岐の城館跡』

 

【城の構造】

丘陵頂部に主郭を配し、東側に副郭を構える。主郭は 南辺で折を構え、そこには土塁を設けて横矢を掛けている。

 

また、西端は一段高くなっており櫓台とみてよい。 さらに北辺の西側には方形の窪みが認められ、 虎口の可 能性がある。 副郭は小規模なものであるが、北辺には虎 口と見られる窪みと主郭へ登る城道が認められ、いわゆる虎口受けとして構えられた曲輪とみられる。

 

この副郭 から南東部の山麓に至る登山道があるが、その中段で東方へ掘削された竪堀と登城道を監視するように土塁囲いの小曲輪が構えられている。また、主郭北斜面にも小曲輪が配置されている。

 

城の築かれた小丘陵は南西側に尾根が続くため、監視用の小曲輪と尾根を遮断する堀切が構えられている。

 

ここの小字は七堀であり、城館関連地名として、ここに城の存在したことを伝えている。そして、この監視用の小曲輪の西側山腹に広い削平地があり、居館跡ではないか と考えられる。

 

【城の特徴】

小規模ながら戦国時代の山城の構造をよく伝えている。従来は隠岐島では最古の城として評価されてきた。

 

確かに国府尾城との立地からは宮田城が島後における最初期の山城と見てよいが、現存する城郭遺構はその後戦国時代に改修された可能性 が高い。

 

主郭の折、虎口構造、竪堀、尾根筋 の徹底した堀切などは戦国時代の山城の特徴 をよく示している。

 

また、山腹から山麓にかけて居館を構える縄張りは中村城や国府尾城に類似する。(中井均)

 

『隠岐の山城続出雲の山城』より一部引用

 

所感

●隠岐の島で最初の城とのことだが、いつ築城されたかは不明

 

●城自体は戦国時代に改変されている

 

●山中幸盛が隠岐の島に拠った時にこの城に入城したのかもしれない

 

関連URL

【島根県】国府尾城【隠岐の島町下西】

 

参考URL

筑後守の航海日誌(宮田城)

 

参考文献

『日本城郭大系』11

『島根県中近世城館跡分布調査報告書 第二集 出雲、隠岐の城館跡』

『隠岐の山城続出雲の山城』ハーベスト出版

 

公開日2025/11/30

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