城データ
城名:周慶寺山城
別名:無し
標高:141m
比高:108m
築城年:不明
城主:不明(大内氏に関係か)
場所:山口県山口市宮野下
北緯:東経:34.181636/131.489094
攻城記
善生寺から登っていく
内藤興盛の菩提寺である西方寺
毛利輝元の側室が葬られて1664年に周慶寺に改名
明治の初めに善生寺が移転
伝雪舟庭園
山の中に入っていく
山の中には宝篋印塔が所々にある
内藤興盛の墓
もう少し綺麗にして欲しいところ
隣には神社の跡がある
ここから本格的に登っていく
少し登ったところ
尾根まで行くと道も綺麗になる
最終の尾根
郭Ⅱに到着
意味ありげな石
遠くを見渡す
見張りにも最適な場所
山頂
郭Ⅰの部分
意味ありげな石
郭Ⅰの先端
位置関係
大内氏館から近い
全国Q地図より【周慶山城】
5mメッシュ
余湖図【周慶山城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
南岸にあり、標高250mの周慶寺山から北西に張り出す尾根の先端に位置する。
予川が流れ、西岸を南西から北東へ通過する石州街道や北西0・8kmにある大内氏館をはじめ山口の街並みを一望できる。
約150m西側の山麓には善生寺、約300m南側の山麓には古熊神社がある。城域は、北西-南東に約130m、北東-南西に約35mである。
主郭Iは長さ20m、幅9mで、南辺は低く段落ちして、尾根に沿って南に伸びる郭Iに続く。
郭IIは長さ20〜26m、幅4~12mで、中央付近に来たから西へ屈折する低い段差がみられる。
郭Ⅱの南側には二段の小曲輪が配されている。南側の尾根との鞍部を遮断する堀切は設けられていない。
郭Ⅰの北東側には幅1m強、長さ13mの帯状の曲輪が設けられている。
山頂部や郭Iの北西側は、山崩れで大きく改変され、遺構は失われているが、西側斜面には曲輪に伴う土塁や2条の堀切の痕跡が認められる。
北西に伸びる尾根上には、帯状の曲輪や小曲輪が配されるが、尾根の先端側に堀切は設けられていない。
本城は、中世史料や『注進案』などに記載がなく、城主や沿革は不明である。しかし、大内氏館跡と近距離にあり、善生寺には、
かつて大内氏重臣の内藤興盛の菩提寺である西方寺があったこと等から、大内氏に関係した城の可能性が高い。
『山口県中世城館遺跡総合調査報告書-周防国編-』より引用
城の歴史
詳細不明
城主家系図
仮に内藤氏に関係するのであればこのような家系になる
所感
・比高もそこまで高くなく、領主の城という感じをうける。
・内藤氏の菩提寺があるが、内藤氏の城とは限らない、大内氏縁の城というところか。
・大内館からも近く、物見をするには好都合の城。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『山口県中世城館遺跡総合調査報告書-周防国編-』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2025/08/10