城データ
城名:久保城
別名:無し
標高:149m
比高:30m
築城年:不明
城主:山中佐渡
場所:広島県広島市安佐北区可部町勝木
北緯:東経:34.539140/132.466012
攻城記
可部運動公園の、公園管理センター裏側が城域となる。
城域侵入。
細長い城域。
墓所あり。
曲輪。
一段下がった曲輪。
本丸方面。
本丸。
本丸からさっき来た方面を確認。
本丸から更に先をのぞき込む。
降りるとこんな感じ。
曲輪跡。
戻る時にも帯曲輪あり。
本丸方向を望む。
墓所まで戻る、墓は江戸時代のものか。
このあたりも曲輪っぽい。
位置関係
open-hinataより【久保城】
余湖図【久保城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【久保城】
拡大図。
1960年代の航空写真
公園が開発される前は現在の城域の西にも山林が広がっていた。
東には街道もあり、鈴張に抜ける道があったため、これを監視する目的もあったのかもしれない。
城の概要
本城跡の下には可部から飯室へ抜ける山越えの道が通っている。
城跡の背後の丘陵には公園が造成されているため、城跡全体の構成は把握できないが、現状では階段状に並ぶ四つの郭のほか、堀切・土塁などを認めることができる。
城主は、山中佐渡と伝えられており、舟山城跡とも関連をうかがえる。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
不明、城主が山中佐渡とあるので舟山城の山中佐渡守と思われる。
船山城の城主は武田氏の家臣山中佐渡守祐成と伝えられ、1529(享禄2)年に熊谷氏によって攻められ落城しているので、久保城もこの頃には落城したのではないか、その後どうなったかは不明。
所感
●城としては曲輪が数段あるが防衛よりも見張りの意味合いが強いと思われる。
●藪化もしておらず、非常に散策しやすい城。
●墓石もあったが、この土地の所有者の先祖のものかもしれない。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/01/13