城データ

城名:亀山城

別名:無し

標高:240m

比高:70m

築城年:不明

城主:河内氏

場所: 広島県三次市西河内町

北緯:東経:34.840772/132.852675

亀山城はここ

 

攻城記

これも天然の堀。

 

亀山城址
西河内村古城山(326m)
中世の山城にして、三吉氏支配下北部地帯の砦として重要な役割を果たしていた。
城主
河内隆季―河内隆実―河内治部尉隆孚3代の居城であった。
山腹に平坦な処があり八幡丸(本丸)と呼んでいた。
国郡志書下帳に山の峰平地にして一反三畝、二段目八幡丸と申す。 平地二畝、東南に一段平地にして三畝、北方に添山があり平地三畝とあり。
いわゆる階段式郭を持つ(芸藩通志より)。
ここは土地所有者「立川佐十郎」氏の了承の下、展望台として整備し、地域として活用しています。
三次市西河内まちづくり推進協議会
着工 平成18年4月

 

山頂に進んでいく。

山頂まではすぐに着く。

公園として整備されており、景色も良い。

麓を臨む。

当時のものか不明。

 

open-hinataより【亀山城】

 

 

余湖図【亀山城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

『芸藩通志』【亀山城】

拡大図。

 

城の概要

最高所の郭は背後(南西側)から北西辺にかけて土塁をおき、背後には堀切、竪堀、最高所の郭から北西・北東方向に延びる尾根には郭を配している。

東斜面に郭が、さらに下方には土塁状の高まりが斜面下に向かって伸びている。

城主は、三吉家臣の河内氏と伝えられている。

 

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用

 

城の歴史

詳細不明であるが、三吉氏の城として機能していいたものと思われる。

 

天文13年(1544):尼子晴久が三吉氏の居城である比叡尾山城を攻略する為に軍を進めたが、布野の地で大内軍(毛利氏、三吉氏)がそれを迎撃した。

 

しかし、強力な尼子軍の猛攻により、毛利軍には多くの死傷者が出ており敗北する、油断した尼子勢は翌日の三吉軍の奇襲にて混乱しこれを打ち破る。

 

この布野崩れの際にこの亀山城も三吉氏の支城として何らかの役割をしていたと考えられる。

城主家系図

河内五郎、俊政は1300年代頃の人物だと思われるが隆季との関係は不明であるが、苗字を河内姓にしている人物が他にいないことから子孫の可能性も否定できない。

詳細は不明である。

 

所感

●地元の方がしっかりと整備保存している城で看板があり分かりやすい。

 

●本丸の下草刈もしているが、本丸東の郭や堀切なども整備していくと城域も拡充され見応えがあると思う。

 

●城は削平地も広くあるが後背地に堀切を多用しており、実戦を意識している。

 

関連URL

【広島県】姫ヶ嶽城【三次市布野町下布野】

近隣の城。

 

参考URL

城郭放浪記(備後三次市亀山城)

西国の山城(備後・亀山城)

 

参考文献

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

公開日2022/03/19

 

ホームに戻る

攻城一覧

 

Copyright © 山城攻城記 All Rights Reserved.