城データ
城名:木の宗山城
別名:無し
標高:413m
比高:390m
築城年:不明
城主:奥西仲綱,吉川興経
場所:広島県広島市安佐北区上深川町
北緯:東経:34.462972/132.547189
攻城記
木の宗山全景。
ハイキングコースを登っていく。
整備されており、登りやすい。
右方向曲輪っぽい。
曲輪。
人工的な石の積み方に見える。
ここは確実に石垣。
山頂に到着。
木ノ宗山城は、木ノ宗山の山頂を中心に東西にのびる尾根の上に築かれていました。
城兵がたてこもったり建物を建てたりする平らな地面を「郭」といいますが、城内にはそれが25ヶ所あります。
また敵の動きを封じるため、尾根をきった「堀切」と呼ばれる空堀も数ヶ所設けられ、しっかりと守りを固めていたことがわかります。
このように山頂や尾根を利用して築かれた城を「山城」といい、戦国時代ころまでに多く見られた城の形です。
なお、この城の城主として戦国武将・吉川興経や奥西仲網の名が古記録にみえますが、詳細については明らかではありません。
広島市
山頂。
山頂から西方面。
恵下山城や八木城が見える。
余湖図【宗の木山城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【宗の木山城】
城の概要
城跡は、木ノ宗山山頂を中心に東西方向の尾根上に位置している。
本城跡の西を除く三方向は、小河原川と三篠川によって囲まれ、西側は鞍部となっており、木ノ宗山塊が独立した地形となっている。
郭は、標高210m辺りから頂部にかけて、ほぼ東西方向に配置されており、全体で25あります。これらの郭配置から山頂郭群、東側郭群、西側郭群の三つの郭群に分けることができる。
山頂郭群は、木ノ宗山頂部周辺にあり、堀切を挟んで西側に二つ、東側に三つの郭を配している。
最高所には石垣が残存し、東端部の郭には、土塁が若干残存している。
東側郭群は、山頂郭群の東方約400mにあり、六つの郭が飛び石状に配置されている。
西端の郭の両側は二条の堀切が設けられ、東側最先端の郭には土塁が残存している。
西側郭群は山頂郭群の西方約300mにあり、他の郭群よりも狭小な13の郭から構成されている。
なお、木ノ宗山中腹には、銅鐸、銅剣、銅戈(重要文化財)出土地がある。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
木の宗山城
【城史】
木ノ宗山城跡の歴史は、ほとんど明らかになっていない。
十九世紀初頭の広島藩の地誌『芸藩通志』には、吉川興経や奥西仲綱の名が挙がるが、信憑性に乏しい。
同時代史料としては、大永六年(一五二六)と推測さ れる田原親董感状に、大内氏の援軍として大友軍が攻めた武田氏の諸城の中に「木嶺城」とあり、これが当城のことである。
この戦いは、大永三年(一五二三)に始まる大内氏と尼子氏による安芸国の争乱の中で、大永五年(一五二 五)末、大内氏は豊後大友氏の一万にも及ぶ援軍を得て武田氏を攻めたものである。
大内氏は仁保島城、国府城を攻略し、金山城(銀山城)に迫るが、その一環として当城を攻めたことが知られる。
木ノ宗山城跡の位置は賀茂郡志芳庄に接しているが、同年八月、武田軍と大内軍が二度にわたって志芳で戦っていることが知られており、 当城はその拠点となり得る。
この時の戦いで木ノ宗山城が落城したか否か明らかではないが、武田領北東部にお ける木ノ宗山城の重要性を知ることができるのである。
【城の特徴】
武田氏の支配領域には、比高三〇〇メートルを超える城跡は四城跡しかなく、当城跡はその一つである。
山頂部は三つの郭群からなるが、城跡の規模に比して 1郭群が意外なほど小さい。
1郭に対して2郭は十分な居住機能を有しており、機能的には2郭が主郭であった 可能性も考えられる。
それぞれの郭群が独立していることや1郭に求心性がないことからすれば、当城は城主が 地域支配を行うための城ではなく、武田氏の家臣が在番する軍事的な拠点であった可能性が高い。
城主として伝 えられる人名に現実味がないこともその裏付けといえるかもしれない。
(吉野健志)
『安芸の城館』より引用。
城の歴史
大永6年(1526):大内氏の援軍として大友軍が攻めた武田氏の諸城の中に「木嶺城」とあり、これが当城と思われる。
吉川関連史跡
吉川興経居館跡
豊島兄弟墓所
吉川千法師、乳母墓所
所感
●吉川興経の墓所と伝えられているが、幽閉されているので、このような大きな城を築くことは無理だと思われる。
●この周辺には何城があるが、城主不明のものも多い。
●16世紀初頭はまだ武田氏支配地域だったため、武田氏の在地支配をするための城だった可能性もある。
関連URL
山頂から見える城。
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『安芸の城館』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2022/01/29