城データ

城名:河原城(平成になり近代模擬城郭を建設)

別名:丸山城(戦国時代は丸山城であった)

標高:95m

比高:70m

築城年:永禄年間か 天文9年(1581)には豊臣秀吉の陣城として改修された可能性もある。

城主:豊臣秀吉の陣城の頃もあった。

場所:鳥取県鳥取市河原町

北緯:東経:35.403851/134.199461

河原城はここ

攻城記

河原城全景。

比高はそこそこある。

 

お城山展望台(河原城)

お城山底望台は、ふるさとづくり一億円事素「自ら考え自ら行う地域づくり」により広く財民に 提案募集の結集決定し、多くの町民各校の参加と協力を頂きながら、二十、世紀に向けた調隊 町のシンボルとして、また、町をアビールする ランドマークとして建築したものです。

 

文献によると、このお城山は天正八年(一五八〇年)、豊臣秀吉が鳥取城攻めで因締地方に やってきた際に陣を張った山で、丸山城と伝えられておりますが、この由に建物としての城は なく、従って、実在の城を復元したものではありません。

 

城名は、公募により河原城(愛称、 若鮎城)と命名しました、構達は、鉄筋コンク リート造三層四階建て、延べ床萌履七九門・四 平方米、高さは二四米です。

 

内部は、町の情輩発信基地として、歴史、文化。 自然などを各階ことにテーマを設け属示してい ます、最上階の展望室は、最高一一五米にあり、 ここからは、四季折々変化に富む中国由地をは じめ、一般河川千代川とその流域の鳥取半野とともに、はるか北方の鳥取移丘も眺望すること ができます。

 

また、この山全体も河原中央公園として整備しており、梅、さつき、もみじ、桜など、門象 を通じて楽しんでいたたくことができます。

 

丸山城遺構

河原町は、風望台の建設に先立ち平成三年一〇月から約八ヶ月かけて、全画発掘調覚を行いました。

 

その結果場切・柱穴、常など多くの追情が発見され 中世山城の跡だったことが確認されており、これら 調査結果は町で記録・保暫されています。

 

往時の姿。

この場所から鳥取城も見える。

城内展示品の中には倉田八幡宮所蔵の「寛文大写図」を模写したものがある。

 

余湖図【河原城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の歴史

天正8年(1580):豊臣秀吉が鳥取城を攻めた時の陣城として築城される。それ以前にも砦などがあった可能性もある。

 

所感

●ふるさと創生事業でお金をもらったので城を築城したという面白い自治体。

 

●智頭から鳥取に行く時に目の前に現れる城に驚く方も多い。

 

●城は模擬天守であるが、山頂の削平地を丁寧に見ていくと曲輪があったと思われる部分も感じられる。

 

関連URL

【鳥取県】丸山城【鳥取県鳥取市六反田】

 

【鳥取県】丸山城【鳥取市丸山町】

鳥取市の他の丸山城。

 

参考URL

河原城(公式)

河原城(ウッキペディア)

城郭放浪記(因幡河原城)

 

参考文献

『日本城郭大系』14

『鳥取県の地名』

『鳥取県地名大辞典』

 

公開日2021/12/05

 

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