城データ

城名:名古屋城

別名:那古屋城、蓮左城、楊柳城、柳ヶ城、亀尾城、鶴ヶ城、金城

標高:23m

比高:10m

築城年:大永年間(1521~28)に今川氏親がこの地に名護屋城を築城する、天文24年(1555)頃に織田信長によって一旦廃城となる。

同じ地に慶長14年(1609)徳川家康の九男である徳川義直の居城として築城される。

城主:今川氏、織田氏、徳川氏

場所:愛知県名古屋市中区本丸

北緯:東経:35.181399/136.900309

名古屋城はここ

 

 

攻城記

1日目外周から攻略。

天下普請だけあって高石垣が映える。

堀ごしから見る天守閣。

入口付近の石垣。

綺麗な仕事をしている。

二之丸大手二之門付近。

これを人の手で掘ったり石垣を積んだりしたのが驚き。

結構大きな石が普通に積まれている。

城門。

こちらも石垣が大きい。

時間切れで入れず。

堀から探索開始。

夕焼けに天守が映える。

清洲櫓

清洲城から移築されたらしい。

満面にたたえられている水堀。

堀、石垣、天守閣。

アップ。

とても気になる凹み、横矢といえばそれだけだが。

堀の水が無くなっている。

 

二日目スタート

二之丸東庭園。

南池。

北暗渠。

名護屋城跡。

これはよく分からない。

本丸目指して侵攻する。

清正公石曳きの像。

絵になる小天守。

算木積みが綺麗。

城門を潜り抜ける。

その前に左右を見渡す。

いよいよ本丸御殿に到着。

本丸御殿前の石垣。

 

本丸御殿

当時の御殿を忠実に再現。

清正石、でかすぎる。

この石が小さく見える。

算木積みの石垣すらでかい。

旧二之丸東二之門。

名古屋城天守閣

名古屋城天守閣。

刻印。

金鯱。

黄金水井戸。

当時の模型図。

堀もめちゃくちゃでかい。

清洲櫓。

剣塀。

鵜の首。

 

 

余湖図【名古屋城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

那古屋城

この城は、今川氏親が那古野台(名古屋台地)の西北端に築城したもので、位 置は、現在の名古屋城二の丸庭園付近であった。

 

大永元年頃、駿河守護今川氏親(義元の父)は遠江・三河を押さえて強大となり、尾張にも侵入し、この城を前進拠点とした。

 

当時、この台地は東から南にかけて林野や丘陵の多い村落が続き、北から西にかけては一段低く、尾張平野 を一望のもとにおさめる要害の地であった。

 

氏親は、一族の今川氏豊を城主として守らせたが、氏豊は連歌にふけるなど文弱で、天文元年(一五三二)、織田信秀のために城を奪われた。

 

その後の城主は、信秀・信長と続いた。弘治元年 (一五五五)、信長が清洲城に移り、叔父織田信光らがその後に入ったが、その 後、廃城となった。

 

慶長十五年(一六一〇)、名古屋城築城の時に、この那古野 城址を取り入れ、二の丸の一部とした。

 

一名「柳の丸」と呼ばれ、のちにこれにちなんで、名古屋城のことを”柳ケ 城”とも称した。

 

名古屋城

徳川家康は、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の戦ののち、大坂城攻略の準備を 。濃尾平野の要地に大規模な城を造営することを考えた。

 

従来 中心、清洲城は、規模が小さく、かつ、水害の恐れがあったので、新しく適当な地を選ぶことにし、小牧・古渡・名古屋の三候補地のうちから、もと今川氏が築いた那古野城の跡を拡大することに決めた。

 

これは、山下氏勝(尾張藩祖義直の生母於亀の方の妹婿)の進言にもとづき、家康がみずから決定したといわれる。

 

同十五年に家康は、前田利常・池田輝政・蜂須賀至鐵・加藤清正・加藤嘉明・福島正則,黒田長政,鍋島勝茂,浅野幸長・毛利秀就など北国・四国・中国・九州の諸大名に命じて築城を開始し、二、三年でほぼ完成に及んだ。

 

この城は、名古屋台地北端に位置し、北側が一段低い沼沢地となっているだけ で、典型的な近世平城の一つである。

 

家康の九男義直(慶長五年生まれ。初名義利)は、同八年に甲斐二十五万石を 新知され、同十二年には尾張一国に国替となり、清洲城を与えられたが、父の隠居城城駿府(静岡市)で成長した。

 

元和元年(一六一五)、大坂夏の陣を経て名古屋城へ入った。

 

ついで木曾山、美濃十二万石などを加封され、同五年には公称高六十一万九千五百石となり、以後当城は十七代慶勝まで尾張徳川家の居所 となった。

 

明治維新後、明治七年、陸軍用地となり、兵営(名古屋鎮台。のちに第三師団) が置かれ、同二十六年、本丸は宮内省所属の離宮となった。

 

昭和五年十二月に離宮廃止、名古屋市に下賜せられ、同月、建造物は国宝に 指定され、また、同七年、 城域全部が史跡に、同二 十七年には特別史跡に指 定された。

 

昭和二十年五月十四日、 戦災をうけて、天守閣および本丸御殿その他の国宝建造物は焼失した。

 

『日本城郭大系』9より引用。

 

城の歴史

戦国時代(那古屋城)

16世紀前半:今川氏親が尾張進出で築いたのが起源とされる(現在の二の丸一帯)

 

天文7年(1538):織田信秀が今川氏豊から奪取して那古屋城と改名する、その後織田信長に譲る。

 

弘治元年(1555年):織田信長が清州城に本拠を移す。

 

江戸時代以降(名古屋城)

慶長14年(1609):徳川家康の命令で名古屋に城を築くことを定める。

 

慶長15年(1610):2月天下普請として築城が開始される、8月末には天守台が完成、、9月頃には石垣を大方積み終える。

 

慶長17年(1612):6月から本格的な建築工事が開始される。

 

元和元年(1615):2月完成する。

 

城主石高

尾張徳川時代:61万9500石。

 

所感

●戦災で失ったのが非常に残念な城、現存していれば日本3大名城だと思う。

 

●これだけの石垣を僅かな期間で積み上げるとは流石天下普請。

 

●城域が非常に広く、61万石の大大名としての威厳が感じられる。

 

関連URL

【兵庫県】姫路城【姫路市本町】

名古屋城にも劣らない城。

【熊本県】熊本城【熊本市中央区本丸】

戦経験のある城。

 

参考URL

名古屋城(公式)

名古屋城(ウッキペディア)

城郭放浪記(尾張名古屋城)

今川氏豊(ウッキペディア)

 

参考文献

『愛知県の地名』

『日本城郭大系』9

公開日2021/10/30

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