城データ
城名:戸坂出城(仮称)
標高:91m
比高:50m
築城年:戦国時代か
城主:戸坂氏
場所:広島県広島市東区戸坂
北緯:東経:34.426868/132.488021
攻城記
城北高校に隣接している山が城域になる。
特に整備もされていないのでこのような感じ。
本丸部分。
北西の曲輪。
動物が何かをした痕跡か。
再び本丸へ。
北の谷を下って堀切の部分へ行く。
堀切は3つある。
城内風景。
位置関係
open-hinataより【戸坂出城】
余湖図【戸坂出城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』戸坂出城
この「城谷」辺りが支城だと思われる。
城の概要
城の構成は、1郭の北東側に郭2を階段状に配し、1郭の背後には堀切を設けて尾根を分断している。
城跡の位置や規模から見て戸坂城の支城である可能性が強いが戸坂城自体も現状では小規模な縄張りしか確認できておらず、本城跡と一体としてとらえていく必要がある。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
1540年4月9日:武田氏に攻められ戸坂要害落城 戸坂入道道海自刃の伝承がある。
城は戸坂城なのか、出城なのか分からないが、何かしらの戦がこの付近であった可能性はある。
城主家系図
あくまでも推測でその関係性は証明できない。
所感
●戸坂城の出城という位置づけである、本城の加工度が粗いのに対して、出城は堀切があるなど実践的な城の機能を有している。
●現在の城域はそこまで大きくはないが、明治時代の地形図を確認すると城北高校造成前で山の峰も先の方まであった。
●以上のことから考えると、当時の城域はさらに広い可能性も否定できない。
関連URL
戸坂氏について詳細に記載。
戸坂城で本城にあたる城。
参考URL
参考文献
『芸藩通志』
『広島県の地名』
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
公開日2021/05/01