城データ
城名:面影山城
標高:65m
比高:60m
築城年:戦国時代か
城主:山崎毛利氏
場所:鳥取県鳥取市雲山
北緯東経:35.480470/134.243477
攻城記
山頂までは登山道がありほどなく行ける。
道中は特に加工もされておらず、このような感じになっている。
山頂付近。
本丸部分には立岩大権現がある。
敷地面積は広い。
下ったところにも削平地が広がっている。
付近の神社。
面影山城(雲山)の隣にある面影山
山崎毛利氏の館がこの正蓮寺付近にあったらしい。
多門杉。
そのまま山頂まで登っていく。
山頂付近の休憩所。
付近には比丘尼屋敷というものがある。
玉雲山 法清寺。
近くの神社。
面影山には神社が多い。
位置関係
余湖図
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
面影山城略測図 法美往来の近辺に位置する丘陵頂部に小規模な郭が数カ所存在する。
また、この城郭から東方向に1〜1.5kmの範囲に因幡国分寺跡・因幡国庁跡がある。
『鳥取県中世城館分布調査報告書第一集(因幡編)』より引用
山崎毛利氏について
鳥取の市街に接する邑美郡南の三戸古保雲山には山崎毛利氏の砦があったという。
「毛利館」は、法美郡中郷正蓮寺にあったといわれ、『因幡志』では館は正蓮寺村の山下にあったとする。
法美郡大茅郷山崎村の条に、「古城、村の後山なり、国侍毛利氏草創の城といひつたへたり(中略)天文の比(一五三二~一五五五)、当城主を毛利中将と云ける。(中略)私都の一族毛利豊元の好計に陥り一朝に滅亡す。
(中略)其家中の屋敷の跡を殿村と云へり、数代の家柄にて、其ころ大草谷は勿論、邑美郡蜘(雲)山の辺までも当家の領地なり」といい「当村百姓山崎勘解由左衛門」など被官(家臣)の末孫が帰農している 事情を紹介している。
『因幡志』の記載によれば山崎毛利氏は法美郡に館・砦があり、法美・邑美の両 常に所値が広く散在していたことになる。
因幡の有力国人毛利の一族であろう。
『新修鳥取市史 第一巻 古代・中世編』より
所感
●山崎毛利氏が因幡毛利氏の庶流としてこの地域を支配していた。
●本城は山崎城があり、ここは自分の領地経営をするための拠点として築かれたものと思われる。
●城としての加工度もそこまで高くはない。
●本家に攻撃されて滅亡した理由は、本城の山崎城が但馬国と通じる交通の要所でそこに目を付けられ攻撃滅亡。
関連URL
参考URL
参考文献
『鳥取県中世城館分布調査報告書第一集(因幡編)』
『新修鳥取市史 第一巻 古代・中世編』
『鳥取県の地名』
公開日2021/04/03