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実例1【山田家】

12019 / Pixabay




山田家

山田家は祖母の実家なので小さい時から、毎年お盆には墓参りをしていました。

 

昔のお墓が沢山ありましたが、実はこのお墓の左1基と小さなお地蔵さんのお墓が山田家のお墓でした。

 

では他のお墓は?ということで祖母や父に聞いたところ、この場所に住んでいた、村の下役人のお墓とのことでした。

 

確かに古く、享保2年=1717の年号の墓もあり相当の古さでした。

 

また、祖母から山田家の歴史も少しは聞いていました。

 

現在、山田家は京都に引っ越しており、祖母に紹介してもらい、京都に話を聞きにも行った思い出があります。

 

その伝承は以下のような感じでした。

●山田小之平が江戸時代の末期に宮大工として流れてきた。

 

●父や祖母から「先祖は石州からきて宮大工だった、別のところから当村にきた」という言い伝え。

 

●さらに、石州からだと街道がいろんな町とつながっており、いったんそこで宮大工をしつつまた当村に来住した可能性もある。

 

●村の菩提寺では山田小之平がお寺の修繕をしたことが判明。

 

※お寺の和尚談

 

この山田小之平が現在の村にどのように来たかは江戸時代以前の話しなので全く分かりません。

 

伝承の深堀

 

しかし、祖母の弟がある正月に当家に来た時に以下のような事を言っていました。

 

「実は造り醤油屋の倅であったが、勘当されてこの村に来た」

そんなこと祖母も父もいっていなかった新事実です。

 

詳しくこの大叔父に確認しましたが、それ以上のことは分からないとのこと。

 

 

ここで、メラメラと調査をしたくなり実行に移しました。

 

まず

伝承であるこの村にくる以前の場所(現在は市)の山田姓全員に手紙を書く。

●自分の先祖である山田小之平という人物は江戸時代末期の生まれ。

 

●伝承としてはこの市で造り醤油をしていたらしいが、先祖が造り醤油屋をしていたという伝承はないか?

 

●また、逆に市内の造り醤油屋に手紙を書き、江戸時代から現代までで廃業した造り醤油屋に「山田」という苗字の家は無かったか?

 

●郷土資料館に確認して造り醤油屋 山田姓の家 などをキーワードで何かご存じの事はないか?

 

などを地道に調査しましたが

結論全く糸口も掴めませんでした・・・・

 

糸口掴めずも進展する

 

しかし、こんな事では諦めません。

 

更に詳しい郷土史家を知らないか?との問いに郷土史家を紹介して頂きました。

 

その方に質問をすると意外な答えが返ってきました。

 

江戸時代には大商家として山田氏がいた。

 

造り醤油屋の有無は分からないが、手広く商売をしていたので分家などが造り醤油屋をやってもおかしくはない。

 

資料を送りますので必要なところをコピーして送り返して下さい。

 

と資料の原本を送って頂きました。

 

早速マッハで全ページをコピーしました。

 

 

この上木屋=山田になります。

 

内容は古文書の翻刻版や家系図などもありました。

 

画像の中にはお墓もあり菩提寺もあり、いても立ってもいられずに、現地に確認しに行きました。

 

このような素晴らしい墓石群。

別の墓石群(時代が下る)は更に大きな墓がある。

 

これだけ大きなお墓があるということは、大きな商いをしていたと考えられます。

 

資料には元禄時代の町図を記載した資料もあり、手広く商売をしていたのが伺われます。

 

元禄時代の絵地図

 

この商家の初代は江戸時代商家ではよくあるパターンの、戦国大名の子孫が敗戦でその遺児がこの地に来たというものでした。

 

その初代のお墓もあるということなのでこちらも拝見しに行きました。

 

何も彫られていないが、戦国武将の遺児といわれる方の墓

しかし、ここまでは限界です。

 

調査していくと

 

●戦国武将が戦で敗れて戦死。

 

●その遺児がこの地にて成長する、苗字を山田に改姓。

 

●遺児は成長して商家となる。

 

●この山田家は江戸時代を通じて大きく成長して町一番商家となり手広く商売を行う。

 

●しかし江戸時代末期に断絶。

 

●現在山田家はこの市内に約20軒あるがこの大商家であった上木屋の遠戚かは不明。

 

ましては当家とこの家が繋がる証拠は何一つありません。

 

そもそも、本当にこの市から流れてきたのかも全く不明です。

 

しかし、いろんな視点で調査をしていけば、郷土史の勉強にもなりますし、色んな方とも知り合いになります。

 

話しを元に戻しますが、江戸時代末期にこの山田小之平がどこかの地からこの地に来たという事実は確実です。

 

この、山田小之平がどこからかこの村に流れ着いたので戸籍以前が遡れません。

 

当然、古い位牌などもなく小之平の墓が最も古い墓です。

 

山田小之平は息子の愛助の戸籍に前戸主として記載、旧墓に小之平の墓があり、山田の初代に当たります。

 

石州から来たという伝承を信じて見ると以下の仮説も成り立ちます。

 

●石州は冬に雪深くなるため、技術労働者が非常に多かった。

※石州瓦は有名

 

●そのような中で小之平は技を身につけ、いろいろな村を転々としたのではないでしょうか。

 

●そして最終的にこの村に住み着いた。

 

そしてその理由は、小之平の妻である「チカ」がこの村の娘だったのかもしれません。

 

ひょっとしたら、このチカの家が上記であった古い墓のある家(村の下役人)だったとの考えられます。

 

大叔父の話では実家には鎧や刀や籠があったとの事です。

 

普通の家ではなさそうです。

 

山田家は羽振りが良かったようですし、祖母も尋常小学校ではなく高等小学校まで進学していたようです。

 

当時、山田小之平とチカが裸一貫からこれだけの財産を築けるのは難しいと思われますのである程度の資産を引き継いだと考えるのが妥当を思われます。

 

それよりは村の有力者の娘であるチカと結婚、そのまま土地を引き継いだ、と考えるのが自然ではないでしょうか。

そして、小之平とチカがいる墓の隣にある古い墓はこのチカの先祖なのかもしれません。

 

学んだこと

●別の村から来住した先祖は遡るのが非常に困難。

 

●山田家の菩提寺を祖母から聞きお寺の過去帳から曽祖父母の戒名がお墓に彫ってあるものと過去帳若干違う。

 

●伝承を馬鹿にせずに、少しでもヒントが無いかアンテナを張り巡らせる、結果いろんな視点で調査が出来る

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