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実例13【品川家】

AG2016 / Pixabay




品川家

私の高祖母の実家です。

 

高祖父は別の村の出身ですが、行商をしてこの村にたびたび来るうちに、「品川」という娘とねんごろになり、結婚したという伝承が我が家にはありました。

 

これは小さい頃から聞かされていた伝承ですが、当時は興味もなかったので適当に聞き流していました。

大学生になって戸籍を入手してみると、徳三郎の兄の戸籍に母タキノとして記載してありました。

 

※祖父織右衛門長女と記載。

 

亡父 常次郎妻記載されているのは分かりますが、亡祖父織右衛門長女を記載されているのには驚きました。

 

※常次郎は養子できた訳ではありません。

 

戸籍から伝承どおり常次郎は「品川タキノ」と結婚していることがわかり興奮しました。

 

そして、そのときに役場の方が「織右衛門の戸籍は無いが、息子の戸籍は出せますがどうしますか?」と聞かれ、その時は必要ないだろうと思い、「いりません」と答えましたがこれがあとになって悔やんでも悔やみきれないこととなりました。

 

半年くらいたって、「品川の子孫の方(直系卑属)が分かれば、位牌や墓所が分かるのでは?」と思い、

 

また、「そういえば織右衛門の息子の戸籍出してくれるって言っていたよな、じゃあまた行けばもらえるだろう」と役場に行って請求しました。

 

しかし、当然ながら「直系尊属では無い方は発行できません」とぴしゃりといわれました。

 

当たり前のことですが、半年前にはその事に気づいていなかったのです。

 

さらに、戸籍の原本を持ってきてくれて「これが原本なのですが、お見せはできませんと」いわれました。

 

ここで、「費用は多少掛かっても貰えるものは絶対に全部もらわなくてはいけない!一期一会の精神だ!」と痛感しました。

 

でも、よく考えれば、織右衛門は直系尊属にあたるので、請求はできるのですが、何回説明しても出来ないとのことでした。

私もまだ18才の頃でこれ以上はもう駄目なんだなと諦めました。

 

今考えると、戸主の欄に織右衛門が記載されているのではなく「前戸主」の欄に織右衛門が記載されているということなので難しかったようです。

 

後日その話を父親にいうと、品川の旧墓なら神社の近くにあると聞かされて、一緒に行き発見しました。

 

父親は昔からその場所は知っていましたが、「お前が聞かないから話さなかった」とのことです。

 

このことから、人は伝承をたくさん知っているが、聞かれないので話さないだけではないのか?と考え、それからは根掘り葉掘り聞くように心がけています。

 

その墓は父親いわく「本家が年に2回くらい草を刈る」とのことでしたが、本当か?というくらいの荒れようでした。

 

墓を調べて見ると1750年くらいの墓があり立派な墓もありました。

 

荒れた墓を見るにつけ「とにかくこの墓はなんとかしなくては」という思いと「品川家をなんとか調べられないか」という思いがフツフツと湧いてきた事を覚えています。

当時いった時にはこのような状態。

 

 

とりあえず、村の菩提寺のお寺に行って過去帳を調べていただいたら、品川の人の戒名が少しばかり発見できました。

 

戒名では落合が屋号でしたが、むかしは品川ではなく落合ではなかったのかという伝承もありました。

 

実際品川の所有していた土地が落合田といわれていたのでそこから屋号が落合だったのではと推測しています。

 

新墓には織右衛門の息子や孫の立派な墓がありましたが、孫の代以降がなく、「断絶したんじゃないか」ということを父親から聞かされていましたので、半ば諦めていました。

房右衛門、庄右衛門夫婦の墓

 

それから数年経過したある日、新聞で「行政書士の無料相談会が駅前で開催」とあり、これはチャンスだと思い相談にいきました。

 

なぜなら行政書士は相続関係で戸籍入手できるからです。

 

実はこの品川の墓の墓守を本家がしています、出来れば品川の子孫の方にその管理をして貰いたいと思っていたらしく事情を説明してなんとか請求してくれるように依頼は出来ました。

 

父親からの伝承では子孫は断絶したと聞いておりましたのでそれを確認する為にも依頼の必要性があったわけです。

 

しかし

これがなかなか難関でした。なぜなら、住所がわからないからです、戸籍の請求には戸主名と住所が無くては発行してくれません。

 

戸主名は分りますが、住所はさすがに分かりませんので役場から「その戸籍はありません」と連絡があったみたいでした。

 

そこで、「いや、戸籍は絶対にある!私はこの目で戸籍の原本を見たんだ」と、何とか発行してくれるようにまた依頼しました。

 

絶対にある戸籍を「無い」と断る役場の対応にはなはだ疑問を持ちました。

 

確かに機械化されていない役場で、住所もわからない戸籍を探すのは大変だとは思いますが・・・。

 

毎日毎日どうすればいいか考えたあげくに、ひとつの方法が思いつきました、それは旧土地台帳です。

 

旧土地台帳には明治22年ごろから昭和30年代までの土地所有者の変遷が記録されており、

 

これをみればひょっとして品川も載っており、住所もあるのではと思い法務局に行き閲覧した所、見事地目が「田」のデータを入手しました。

 

恐らくこの付近に住んでいると思い、お知らせしました。

 

旧土地台帳を確認すると所有者の変遷が

 

こうなっており品川から土地が渡ったという伝承の裏も取れました。

 

ここの住所を行政書士の方に教えてみごと戸籍が入手できました。

 

そこに記載している内容から子孫を電話帳で探し現在九州に在住していると分かり、手紙を書いて何か知らないか尋ねました。

 

結果的には分からないとのことでした。手紙には「電話を掛けてきてもよい」とあったので電話して詳しくお尋ねしたら。

 

●自分が幼い時に、父親が亡くなった為に小学校に上がる前には九州に来ていた。

 

●そのため幼い頃のことは覚えていない。

 

●10年くらい前にこちらに墓を作って父親を入れている。位牌も父親のものは持っている。

 

この時には品川家に関して新しいことは分かりませんでしたが、子孫がいるということが判明しただけでもよかったです。

 

話は変わって、品川の墓の荒れようを見るにつけ、いつか草をとってやる、いつかきれいにしてやる、という思いを数年後になってやっと遂げることが出来ました。

 

後日草刈りを行った状態。

 

掃除をしてみると、墓所の中から石畳が出てきました。一番立派な墓も出てきました。

 

石畳自体はそんなに立派ではありませんが、石畳がある墓を見たことが無かったので感動しました。

 

墓自体にも屋根がついており、その当時としては立派なものだったようです。

 

さらに、お盆に祖母、父、私、娘、4世代で墓参りをし、私の地方の風習にのっとり、肥松を焚き、線香をあげ、水をあげ、米もあげて帰りました。

 

祖母いわく

「昭和30年頃までは本家のおばあさんと一緒に草むしりもしたし、墓参りも行ったが、そのおばあさんが亡くなってからは、墓参りすら来ていない。もう30~40年ぶりかな」ということでした。

 

ここまでやって、やっと心のモヤモヤが解消できた気がしました。いい供養になったと思います。

 

更に10数年後に、お寺の過去帳からこの品川家についてピックアップが出来ました。

 

そうしたら、墓よりも一番古い先祖が1世代ほど遡れました。

 

元禄8年=1695年

落合 甚五郎父

惣雲道照(信士)

 

元禄時代の先祖の発見です。

このご先祖様が生まれたのは1630年頃だと想います。

江戸時代初期に生まれたご先祖様が発見できたことは、正直嬉しいです。

 

ただ、子孫の方が既に九州におりこちらと縁が無くなっていることが残念なことです。

 

後日談

数年前にお墓に行く機会がありました。

そこで目の当たりにした光景がすさまじいものになっていました。

 

笠のあるお墓は倒されて、笠が上に置かれている。

草が繁茂して竹まで生えている。

 

本家の当主が墓守をしているのでは無いかと思っていましたが、確認したら、「もう年なので墓守も止めた」とのことでした。

残念ですが、子孫がいなくなると、このようになるのも現実です。

お墓というものは、墓参りをする事によって、子孫が管理をしないと僅かな期間でどうしようも無くなるという事例でした。

 

学んだこと

●戸籍は、出してもらえるものは全部もらう、後からの請求では遅い。

 

古くて住所が分からない時は旧土地台帳を確認、特に地目が「宅地」となっている番地が家のあった住所になる。

 

曽祖父が亡くなって80年近く経過、伝承を父親は知っていたが、私は知らなかった。

 

●昔のことは忘れていくが反面、書物にして残せば、もう少しは長期的に残せる。

 

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