はじめに
手紙を書き返信が来たました。 NO3です。
今回はお寺に手紙を書きました。
内容は3通です。
1通目
●私の先祖の家に菩提寺になっている家ががある。
●その家の裏にお墓が1つあり戒名が彫ってあり調べて頂いたことがあった。
※以前お知らせして頂いた内容はお寺の過去帳から浪右衛門 浪右衛門妻であった
●お墓は1つしか無かったが、過去帳からであればもう少しこの家で亡くなった先祖のことが記載されていなか?
●遡って調べたいのでお願いしたい。
2通目
●私の先祖と一緒に祀っているお墓がある。
●同じ墓所であり、尚且つ縁のある家と聞いている。
●5代前の先祖が別のところから来たので、その妻の実家の墓ではないかと推測している。
●お墓は相当古く1700年代初期~中期のもの。
●「釋」という文字が彫ってあるため。浄土真宗の方であると思われる。
●この付近で浄土真宗はこのお寺しかないので、確認して欲しい。
●また、これも5代前が亡くなっている時代から100年以上空白があるのでその空白のご先祖も確認したい。
3通目
●私の先祖の家で曹洞宗の家なのに1名のみ浄土真宗の法名があり、尚且つお寺の名前まで記載されている。
●なにかお寺の方で情報があれば教えて頂きたい。
手紙を書き1週間位でとても丁寧な返信がありました。
1通目回答
●過去帳には個人名の他には住んでいた地名しか記載されていなく「屋号」は記載されていない為特定が困難で分からない。
●今回の戒名と行年から過去帳を確認して以下を再度確認。
文政十三寅星改之
釋行清信士 ●●村浪右衛門父親(原文のまま)
文化九申年七月(以下判読不可)
釋妙仙 ●●村浪右衛門妻
1通目で分かった事
①過去帳でも「屋号」が記載されていない場合は特定困難(特に浄土真宗の場合はその可能性がある)
②浪右衛門夫婦と思われていたが、お寺の過去帳では「浪右衛門父親と浪右衛門妻」と記載。
文政十三年=1830
文化九年=1812
家系図ではこなりました。
まあ、釋妙仙が短命で、浪右衛門が長命であったと過程すれば、家系図に整合性はありますが、浪右衛門本人の情報が欲しかったです。
2通目回答
●お寺の戒名の中には記載を見つけることが出来なかった。
●「釋」という文字があるものの、法名に使われている文字から受ける印象は私共の持っているものとは共通しない感じがあり、法名が生まれた背景が違う気がする。
2通目で分かった事
①まさかのお寺の過去帳に記載されていないことが判明。
※浄土真宗は近隣半径15キロにここしかありません。
②法名に使われている文字が浄土真宗に使われているものと共通しない?
※使用する漢字とかこの漢字の場合はこの漢字を使用するというようなルールがあるのかもしれません。
因みにこのお墓の法名は
釋氏空岸信士
※享年、俗名等不詳
釋尼冷光信女
享保十九夭寅十日遡日
享保十九年=1734
繹道音心信士
享保二酉夭七月廿三日
好之丞
享保二年=1717
繹尼妙秀信女
延享四卯夭五月二日
善助
延享四年=1747
と彫っております。
近隣には曹洞宗のお寺ばかりですので、何かしらの事情があって宗旨替えを行い釋をつけた可能性がある?
かなり難解です。
3通目回答
●文政十亥年二月二十二日 文政十年=1827
釋善知信士 ●●村傳四郎
※ただし「善」は異自体の様に見える。
●位牌では「禎」であるが「禎」には読めない。
3通目で分かった事
①位牌の法名とお寺過去帳の法名が違うことがある。
後日、お寺に電話して深く感謝の意を伝えました。
昨今の世の中で、なかなかこのようなお願いや気持ちが伝えにくいなか、時間を割いていただき、回答して頂いたことに対して感動しました。
今回の件で当家として判明したことと、先祖探しとして判明したこともあり勉強になりました。
公開日2019/09/08
更新日2021/08/01