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実例3【森田家】

12019 / Pixabay




●森田家

森田家は私がコンタクトを取っていない唯一の親戚でした。

 

私の母の母の父の実家です。

 

そのため、詳しいことがわかりませんでした。

 

さらに、森田家は戦後すぐに隣村に引っ越したので、家も無くなり位牌も古い物は無くなったようです。

 

また、当主が早くに亡くなったため、息子に伝承が伝えられませんでした。

 

昔住んでいた場所は秋原村なのですが、昭和30年代に秋原村史というものが発行されました。

 

そこには昭和30年代の戸主一覧がありました、しかし、森田家は昭和30年以前に引っ越しているため、記載がありませんでした。

 

その場所からいなくなると人々の記憶や記録からなくなると思い知らされました。

 

叔父の協力

また、森田家と付き合いのある叔父に「森田家に行きたいんだけど連絡してくれないか」と依頼しても、「森田家は当主が早くに亡くなってから、詳しいことはみんな知らんから行くだけ無駄だ」と言われ、乗り気ではありません。

 

叔父に頼まず行くことも出来ますが、やはり縁故のある人と一緒に行くのがよいと考えなかなか行けずじまいでした。

 

もう一つは、勝手に森田家の家に行ったら伯父が気分を害するかな、とも考えて迷っていました。

 

また森田理平太、勘蔵の墓があるのですが(私からすれば高祖父とその上)

 

これも叔父が定期的に墓守をしておりました。

 

高祖父の墓

 

伝承の模索

叔父は「当主が早くに亡くなったために伝承など聞いていないはずだ」と言い切りますが、はたしてそうでしょうか?

 

いくら早くに亡くなっていても位牌くらいはあるのでは?とこれまたモヤモヤ感があるまま十数年過ごしてきました

 

そこで、叔父の家に行き、森田家の詳細な家系図と戸籍のコピーと昔の写真(昭和14年当時の葬式時写真で森田の人間が数多く載っているもの)を送るので住所を教えてもらい送付しました。

 

そうしたら当主より奥様が感激されて、「何も分からないが自宅に来てもいい」という事になり訪問させて頂きました。

 

やはり、叔父の言った通り何も分かりませんでしたが、唯一会っていなかった遠縁の方とお話が出来ていい思い出になりました。

 

そして、現在の当主の方から以下の事を言われました。

 

●向こうにある高祖父の墓も今ある墓と一緒にしたいのだが、一族の住んでいた土地が子孫に分からなくなるのでやめなさいと住職に言われて一緒にしていない。

 

●でもこのままでは息子も墓参りしなくなるし、どうしたものかと悩む。

 

帰るときには家の前で栽培している野菜をたくさんもらって帰りました。

 

また後日腰の重かった当主が役場に行って遡れるだけ遡った戸籍を入手されたそうです。

 

その時に1つだけ私の持っている戸籍が無かったとのことでした。

 

そうです、戸籍が80年廃棄で無くなっていました!!

 

私が取得したのは平成5年、そして当主は平成18年に取得、この13年間の間に、ここの役場は明治45年以前の除籍は廃棄したとのことでした。

 

こちらは、私が取得していたものをコピーし渡したので、喜ばれました。

 

お寺で過去帳から先祖をピックアップすればもう少し判明すると思いますが、以前叔父と一緒に伺った時に反応が良くなかったので、森田家も同様の可能性があり、保留にしています。

 

学んだこと

●家長が早くになくなると一家の伝承が一気に途絶える。

稼ぎ頭を失うわけですから、生きるのに精一杯になりますので先祖どころではないと思います。

●伝承が欠落すると息子は自分の先祖に興味が無くなる。

●逆に子供のときから聞いていると、否が応でも覚えるし興味を持つ。

●記憶の伝承は困難だが、記録の伝承は可能。

●自分が先祖の事を纏めておき、後世に伝えることで、永続的に伝える努力も必要。

 

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