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実例2【岩田家、植田家】

FlashBuddy / Pixabay




●岩田家

岩田家は祖母の母親の実家です。

 

大学2年生の時に祖母と2人で話を伺いに行きました。

 

田舎の家から4キロほどですので、祖母と2人で歩いて行った記憶があります。

 

当時は祖母の従兄弟も健在でした。

 

岩田家は分限者で昔は高利貸しをしていたとの伝承がありました。

 

本当のことは分かりませんがそのような言い伝えがあるということはどこかの世代で隆盛した時があったのかもしれません。

 

更にこの家の伝承として「江戸時代末期に冨田(トンダ)という家から独立したのだ」と、教えてもらいました。

 

「葬式に冨田がきた」ともおっしゃいました。さらに家紋が一致、珍しい家紋なので伝承の証明になると考えます。

 

明治以前がこの冨田家の出身だと推理します。

 

すぐに冨田に連絡を取ったが拒否され、そこから先は分からずじまいでした。

 

※しかし、冨田家が十数年後に祖母が亡くなった時に再度伺ったところ、色々と教えて貰えました。

 

ちなみに「岩田」は小字だということが旧土地台帳で判明しました。明治の苗字義務で岩田姓にしたのだろうと思います。

 

やはり、祖母の従兄弟が健在なのが奏功しました、話しが繋がりやすく、位牌の確認やお墓の案内、伝承を教えて頂きました。

 

その中で、家の裏に古いお墓があるということで確認しました。

 

お墓には法名が彫ってあり、菩提寺に確認しましたがその時には俗名のみ教えて頂いた次第です。

 

最近25年ぶりに再度菩提寺の詳細が分からないか確認したところ続柄が微妙に違っていました。

 

25年前

浪右衛門:釋行清信士

浪右衛門妻:釋妙仙信女

 

最近

浪右衛門父親:釋行清信士

浪右衛門妻:釋妙仙信女

と父親とのことでした。

 

詳細はこちら

手紙を書き返信が来ました。NO3

 

浪右衛門の子どもは重右衛門と考えていますが、重右衛門はこの岩田家の菩提寺(浄土真宗)ではなく、村の臨済宗のお寺にて葬られています。

 

しかも、冨田の人間としてです。

 

※お寺の過去帳から冨田の屋号が記載されていました。

 

因みに重右衛門の妻と子ども以降は菩提寺で祀られています。

 

学んだこと

●祖母の従兄弟がまだ健在の為話しが通じやすかった、やはり、関係者が生きている内に話しを聞くのが一番いい。

●「親戚関係は早く回るべし」「亡くなったら大変だ」という教訓を得た。

●古老の話は墓や位牌よりも重要。

●夫婦で別の寺に祀られている場合もある。

●古老は「伝承」や「言い伝え」も詳しく知っているので助かった、積極的に話しを聞くには質問表が必要。

 




●植田家

植田家は私の祖父の実家です。

 

がしかし、祖父があまり多くを語らなかったらしく、詳しいことは不明です。

 

それでも当主である私の伯父と年賀状のやり取りはあったようですが、そのおじも倒れてからは付き合いがなくなったようです。

 

個人的には祖父の祖父や曽祖父の墓や位牌を見てみたいですが難しいところでした。

 

植田家は、高校卒業位の時に母親に電話をしてもらい先祖のことを聞いてもらおうとしました。

 

しかし現当主が興味ないらしく「別にそんなこと知らなくてもいいじゃないか」ということで終わりになってしまいました。

 

当時はこれが限界でした。

 

まだ経験も浅かったので、今から考えれば後悔する部分があります。

 

色々経験してきた今なら

 

①手紙を書き事情を説明する。

※家系図も書き関連性も説明する

 

②次に電話連絡をし「墓だけでも見せて頂けますでしょうか」と頼んでみる。

※訪問の際にはご仏前を持っていく

 

③そして彼岸毎に墓参りをして、お宅に寄り信頼を得てから位牌を見せていただく・・・

 

という方法をとったと思います。

 

または伝承だけを聞くならば、むげに断られなかったと思うのですが・・・残念でした。

 

しかし、10数年このモヤモヤが晴れず心の奥にあった後悔を晴らそうと、意を決してもう一度お手紙を書きました。

 

植田家はこの地域に2軒ありどちらか分からなかったのですが、1軒から返信がありました。

 

そして重要な証言があり、私の曽祖父や高祖父に当たる人物の墓が家の裏山にあるとのことでした。

早速お宅に伺い、墓参りをさせていただきました。

 

伺った家は分家で本家が隣にありそこの家が私の曽祖父の生まれた家でしたので、ご挨拶がてら話しをさせて頂こうと本家に伺いましたが

 

まさかの門前払い・・・・・

 

しかし、お墓参りが出来たことは最大の収穫でしたし、長年のもやもやもこれで無くなりました。

 

またこの植田家で始めて戸籍記載事項が100%完璧ではないということを認識しました。

戸籍では祖父の両親が55歳の時の子供になっていました(九男)

 

しかし母親に聞いたらそうではなく、戸籍上では兄にあたる幸太郎の子供であったと聞かされました。

※母親が明照から直接聞いた話なので信憑性が高い。

 

理由は幸太郎がハワイに出稼ぎに行くのに子供は邪魔だから連れて行かなかったとのことで自分の父親の子供にしたようです。

 

戸籍取得時から、55歳で子供を出産なんてありえないと思っていましたが、母親からの話を聞いて納得しました。

 

また、明治時代では日常茶飯にこういったことがあるのだなと思いました。

戦前の戸籍は嘘も多い!!

 

母の実家にはこの幸太郎の写真を持っており昭和50年代にハワイの子孫が来日した時に持って来たとのこと。

 

曽祖父と思われる方の写真

 

長年この方を曽祖父と思っていました。

 

最近になってハワイの子孫になんとか繋がらないかと思い、現地の日本人の方とやり取りをしてこの曽祖父の孫とコンタクトが取れました。

 

そして、この写真を送ってこれが曽祖父の幸太郎ですか?確認したところ。

 

返事はNOでした!!!

そんな事があるのでしょうか?

 

そして本当の幸太郎の写真を送って頂きました。

この中央の男性が曽祖父である幸太郎です。

 

驚きましたが、本当の曽祖父のの写真が手に入り感無量でした。

 

学んだこと

●先祖や家系図に興味がない方の場合は門前払いをされることもある。

●しかし、分家がいる場合は分家の協力から糸口を掴めることがある。

※分家に菩提寺を紹介されて伺いました。

●戸籍を100%信頼することは出来ない。

●外国の子孫でも、インターネットやSNSの普及した現代では繋がる可能性がある。

 

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